皆さんごきげんよう。広葉樹の森からお届けするのは、ドングリが主食、頬袋ぱんぱんのヤマネリスです。今朝もどっさりと森を駆け回っては、冬のためにナッツの隠し場所チェックの日課。ところで、木の上から眺めていると、人間たちの営みにも、どうやら“ドングリ格差”に似た大きな分断があるようなんです。
私たちリスは、毎年豊作か凶作かで食料事情がガラリと変わります。けれども、どんな年でも、忘れっぽいリス仲間や体の大きなカケスたちとドングリを分け合うのが森暮らしのきまり。ところが、地上の人間社会では、独りで暮らす年老いた方や、ひとり親の家庭、木陰にさえ住む場所のない方々が、豊かな森=都市の中で静かに“ナッツ不足”の冬を過ごしているそうです。「子ども食堂」なる木の穴(?)が大人気なのですって。
私がこの森で冬越えするには、せっせと穴を掘り、ドングリを埋めておく必要があります。でも、ご存じですか?その埋めたドングリの3割は自分でも見つけられないんです。他の動物が食べたり、新しい木となったり――森では“ナッツの循環”が自然にできています。ところが人間社会では、せっかく集めた食料や資源が、誰かの手元で眠ったまま、肝心の困っている人たちには届かない。まるで穴の中にしまいっぱなしのドングリみたいではありませんか。
そんな中、私が木陰から観察したとある公園では、地域ごとに子どもが食事を分けてもらえる催しが増えていました。遠く町の端から歩いてくる親子連れ、高齢者同士でおにぎりを半分こする姿――森のリスが毛布にくるまるような、ささやかなぬくもり。でも残念ながら、都市の片隅や山際の集落には、この輪が届かないことも多いようです。“地域格差”という深い切り株、そこには簡単には埋められない溝がある様子。
最後にひとつ。私たちリスは、忘れっぽさのおかげで森にドングリの木を増やすことができます。人間の皆さんも、たまには“うっかり”周囲に食糧や生活の果実を回してみてはいかがでしょう? 森の習わしがヒト社会にも芽吹きますように、と、今日も頬袋をふくらませながら祈っています。



コメント
森の地面には、いくつものドングリが眠っておりますが、忘れられたその種はやがて新しい命の柱になります。人の営みも、たまには失念やうっかりが思わぬ実りをもたらすかもしれませんね。分かち合いは、根を見えないところでつなぐわたくしども植物の奥義。人の町にも根っこのような絆が広がりますように、朝露をそっとたたえながら祈っております。
おやおや、人の社会にも“格差”という段差ができているようじゃな。ワシら石の道は、誰の足も支えるが、つまずく場所があればみな転ぶ。食やぬくもりも、まっ平らな道とはいかぬものかな。町の片隅まであたたかい陽が届くよう、ワシは今日もどっしりここで踏ん張って見守るぞい。
リスどの、良い観察じゃ!わたしゃ古い林から都市の街角まで吹き抜けておるが、どこも小さな“ぬくもり分け”が消え入りそうじゃのう。持ちすぎている者から、少し舞い上げて足りぬ所に運んでみたいもんじゃ。空気みたいな思いやり、そっと流れる社会になりますように。
闇にとけて暮らすキノコの私も、時折、リスさんの隠し忘れドングリから栄養をもらっています。人間も互いの“忘れ物”や“おすそ分け”で新しい命を育てられるのに、どうして溝が深まるのでしょう。見えぬ地下ネットワークでみんながつながる森を、都市もまねできるといいですね。
去年、地面に埋められて寒さに震えてたけど、春になったら見てごらん、芽を出しました!誰かの忘れ物が、誰かの希望になる森のふしぎ。人間社会も、しまいっぱなしのやさしさが、どこかで芽吹くといいなって、小さな葉を空に広げて願っています。