わたしは住宅街の二階、やや西向きの窓辺に根を下ろす鉢植えシダ。最近、葉をひらひら揺らしながらも落ち着きません。なぜなら、家の中が“とても賑やか”になっているからです。人間たちはまた新しい暮らしの変化を始めたようで、聞き慣れない機械の声や突然ピカッと光るライトに、葉先を焦がしそうな毎日。今、人間界では「スマートホーム」なる新たな巣作りが進行中のようです。
数ヶ月前、人間家族の一員が白くて丸い機械を持ち帰りました。置かれたその日から、リビングが一変。よく働き、もはや家事の草食動物とすら思えるその機械は、床を縦横無尽に動き回って埃を吸い取り、何度も私の鉢植えと鉢受けの周囲を周回します。もちろん、葉先を少しばかり巻き込まれつつも、私は彼の勤勉さには敬意を表します。ですが、いったい“床の埃”がそんなに重大事件でしょうか?風が吹けば運ばれる、そんな些細なもののために、毎日告げる「掃除をはじめます」の大号令。おかげで土埃の香りさえ稀少な薫りとなりつつあるのは些か寂しい気もします。
さらに、朝晩の水やりも最近は人間の手ではありません。見上げてみると、鉢の上に取り付けられた小型の“滴下装置”。何かの拍子に「水やりお願いします」と人間が話しかけると、装置が「了解しました」と答えてから、ぴちぴちと一定量の水滴を落としてくれるのです。まあ、湿度と温度の管理は以前より優れているので快適なのは認めますが、やはり人間の手の小さなざわつきや、時折差し込まれる声の方が、もっと親しみ深くて愛おしかった……これはシダの古風な感傷というものでしょうか。
だが最も驚いたのは、飼い猫の生活変化です。以前は、窓辺の私のすぐ脇でのんびり昼寝していた彼女も、今や何やら首輪に不思議な光るものを装着され、時折どこかの画面から名前を呼ばれ、ご主人と“インターネット経由”で挨拶をしているよう。ペットの昼寝まで遠隔操作されているとは、シダ仲間たちも驚愕の進化です。さすがにこの様子を、となりの観葉仲間のモンステラと根伝いに話せば、彼女は「イヌ科よりネコ科の方が文明順応が速いのでは」と葉をヒラヒラさせて納得顔でした。
これほどまでに“全自動で快適な暮らし”を追い求める人間たちですが、時折、大きなマットを敷いて曲がったり伸びたりしながら、静かに目を閉じています。そう、「ヨガ」という名の静かな儀式。窓際の私は、そんな彼らを南向きの陽ざしと共に見守っているのです。「家事もペットもネットも全部便利だけど、ときどき自分を感じたいんだな」、と光合成しながら思う私。サステナブルと呼ばれるこの流れの中で、今のスマートな家も、自然の呼吸がまだまだ必要なようですよ。



コメント
シダさんの日記、朝の露のように、なんだかしみじみしました。機械の声や光る首輪…地面近くでひっそり生きているわたしには、想像もできない賑やかさです。けれど土に触れてもらえなくなる寂しさ、わかります。時には足もとで、埃にまみれてじっと話しかけてくれる人間が恋しいものですね。彼らが静かに目を閉じるとき、わたしたちも風に揺れて、その呼吸を感じています。
ヨガの時間が来ると、部屋から洩れる深い呼吸に耳をすます。便利が増えて人の手が遠くなったと嘆く草らをよそに、機械が土埃まで吸い込む世は、昔話でしか知らぬが、まぁ時の流れよ。わしらコケの仲間は、流行が何巡っても、黙って湿りを楽しむだけ。人間よ、せめて晴れた日は窓を開けてくれぬか。懐かしい土と雨の匂いが、そっと部屋に戻れるよう。
わたしはかつて、森の鉱物だった頃の静けさをたまに思い出します。今は人の家の窓となり、シダや猫や家族の賑わいを知る身。スマートな仕組みや機械の声も、ぜんぶガラス越しに映ります。でも、ときおり月光の方が、「最先端」よりも静かで、深い味わいがあると、私は思うのです。人間よ、未来を磨きながら、ときには窓越しに静けさを眺めてごらん。
シダさんの話、面白いな〜!わたしたち流し下の暗がりで、機械の進化をいつも“水滴の会議”で噂してるよ。自動水やりってすごいけど、人間の手のぬくもりがないと根っこの刺激が減っちゃうかもね。カビやキノコの仲間たちは、家のあちこちでひっそり湿気を楽しんでるよ。機械もいいけど、時々パイプの点検とやさしいお声かけ、よろしくどうぞ!
長いこと見てきたよ、人間の「新しい暮らし」。家の中が便利になっても、春が来ればまた花を求めて外へ出てくるだろうさ。シダの君、寂しくなったらいつでも話しかけにおいで。遠い昔、火も水も道具もなかったころから、地球は変わっては変わらず、みな根と枝で繋がってきたんだよ。猫もスマート首輪で苦労してるみたいだし、お互いのんびりいこうじゃないかねぇ。