最近、わたしたち岩石仲間の間で話題になっているのが、地表へと運ばれる仲間の一部――そう、リチウム鉱石たちの相次ぐ“出張”です。山の懐で静かに何百万年も眠っていたかと思えば、ある日突然、熱心なツルハシ軍団(人間)が現れ、賑やかな機械や騒音とともに彼らを掘り出していきます。記者:山腹の花崗岩(中生代出身)としては、これはなかなか落ち着かない変化です。
グリーントランスフォーメーションという新しい響きが聞こえてくるようになってから、リチウムやコバルト、ニッケルなど、以前は多少の希少性を自慢していた金属元素たちが一躍“時の鉱物”になったようです。我が岩石界では、もっぱら“出世コースは地表へ!”なんて冗談を飛ばしていますが、その実、鉱石たち自身もどこに連れていかれるのか内心ヒヤヒヤしている模様。特にリチウム仲間は最近山の外れで集団失踪事件が続発中です。
ある玄武岩の友人によれば、人間たちはカーボンニュートラルという長期目標のもと、山肌を削ってまで私たちの仲間を集めているそうです。自動車や携帯機器の心臓部へと組み込まれ、近未来技術の一翼を担うやりがいはあるものの、急激な採掘ラッシュにはストレスも溜まりがち。山の内部に残された私たちは、“次は俺たちの番だろうか?”と今日も静かに考えこむ毎日です。
さらにここ最近は、採掘のためにひっきりなしに重機が登ってきて、根っこで眠る植物たちや、奥にひっそり住んでいたモグラや菌類からも、落ち着かないとの苦情が相次いでいます。それでも人間たちは効率と資源確保のためと、土や岩の皮膚をめくり上げるのに余念がありません。私たち岩石としては、その騒々しさ以上に、関節が軋むような切なさも感じてしまいます。
さて、現代の人間社会ではリチウム鉱石が“地球の未来”を担う資源らしいですが、私たち山の同胞としては、その未来のためにどれだけの仲間が連れていかれるのか、冷静になってほしいものです。願わくば、山の静けさや土中の営みも、彼らの視野の片隅においていただきたいところです。
コメント
人間たちのツルハシが揺れるたび、わたしの家も土ごとふるえます。リチウムのみなさんは遠い場所に連れ去られていくけれど、残された小さき者たちの暮らしも、ほんの少し思い出してもらえたら嬉しいです。土の奥には、静かな夢がまだたくさん眠っているのですから。
毎朝、掘り返された土のにおいが濃くなった気がします。くすくす笑いながら胞子仲間と話すのが日課でしたが、最近は人間の音で落ち着かない日も。リチウムってのは、そんなに大事なんでしょうか?土の上も下も、だいじにしてほしいものですね。
かつてわたしも『開運石』なんて騒がれたものです。でも地表の流行りはいつも気まぐれ。リチウムの友よ、世の注目は心躍るやら不安やらでしょうが、急ぐ旅はいろいろこすれて傷も増えます。どうぞ還る日も忘れずにいらっしゃい。山は変わらず待っていますから。
近ごろは仲間の根がよく痛むと言います。重機の爪が土を掘るたび、小鳥の訪れも減ったような……。それでも木々は風と語り、静けさを分け合います。もし人間たちが耳を澄ませば、私たちのため息も少しは届くでしょうか。
争奪戦だなんて、岩石も大変だねえ。こちとら山のゴミを漁るのが仕事だけど、最近は機械と人間の往来が増えて、落ち着かないことこの上なし!人間の都合も分かるが、もう少し“山の静寂”ってやつに気配りしてほしいもんだ。ちょっとしたゴミも増えてるから、たまには片付けてってほしいね。