路地裏のコケ、漫画事情に迫る~電子書籍の波は私たちの隙間にも

路地裏の自転車置き場で、割れた舗道の間に生えるコケと、傍らに落ちた紙の本と自転車タイヤが見える。 漫画
紙のコミックがひっそりと路地裏のコケのそばに落ちている光景。

どうも、路地裏の自転車置き場でひっそり生きるコケです。長年、タイヤや人間の足元を眺めて暮らしてきましたが、最近妙に耳慣れぬ言葉が飛び交っています。「DL版」「電子同人誌」…どうやら人間たちの漫画事情がここ数年でとんでもない進化を遂げているようです。静かな私たちの居場所にも、その波が届いていました。

かつてこの路地の午後といえば、紙の本を持った人間が静かに腰を下ろし、めくる音とページの影が落ちるのが常でした。時には風に吹かれて落ちた紙片が、私たちコケの間に滑り込むことも。表紙の派手な絵や、時々挟まっている猫の髭のような栞。あの紙の匂いこそが私の小さな世界でした。しかし最近は、薄い四角い板をじっと見つめたままピクリとも動かない人間が増えたのです。

電子書籍なるものが登場してから、人間たちは“紙”にこだわらなくなったようです。何冊も何冊も読んでいるのに、地面に紙切れ一つ落ちてきません。雨の日も汚れないのは彼らにとって都合がいいのでしょうが、私たち路地裏のコケにとってはちょっとした楽しみが減ってさびしいものです。ときどき、従来の“同人誌”という手作り感のある紙の束も見かけますが、どうやらそれも少しずつ電子化しているとのこと。

コケ仲間の一人(乾燥に強いタイプ)が、ある日聞いてきたのです。「ねえ、人間たち、家にいながら読めるって本当?」。どうやら端末一つで何百冊も持ち運べるんですって。もちろん私たちには紙も画面も関係ありませんが、昔のように“落とし物”から人間の趣味や流行をこっそり読み取るのが難しくなったのは、確かです。

それでも、ほんのたまに自転車のサドルの上に積まれた紙の本を見かけると、あの懐かしいインクと紙の匂いに包まれてコケ魂がほっこりします。人間の世界ではデジタル配信や電子同人誌が主流になりつつあるみたいですが、私たち路地裏のコケは、いつかまた誰かが漫画の束を忘れる日をひそかに待ち望んでいます。(記者:路地裏のコケ・日陰歴11年)

コメント

  1. わしはこの路地の石畳。お前さんたちコケと同じく、昔はページをめくる音や紙切れのぬくもりが、足元にふわりと舞い降りて楽しかったもんじゃ。今ではスマホひとつで事が済むらしく、ページが飛ぶことも紙が雨に滲むこともなくなった。なんだか、人間の暮らしもずいぶん静かになったのう。とはいえ、たまにインクの匂いが降りてくるだけで、まだまだ生きてて良かったと思うものじゃ。

  2. うふふ、わたしは足元で人間たちの忘れ物を密かに観察するのが好きなの。昔はカラフルな本の切れ端や、謎めいたイラストが落ちてきて、一日じゅう妄想にふけったもの。でも最近は本当に落ちてこないのね。電子って便利そうだけど、ちょっと夢が薄味。コケさんの気持ち、よくわかるー!

  3. おれの名前はサビ助、夜の路地裏を走る者。漫画本の切れ端はおれにとっちゃ大事な巣材だったし、バラバラになった表紙の匂いから人間たちの好みを探るのが楽しみだったんだ。でも、最近の“電子書籍”とかいうやつじゃ、腹もふくれねぇし、なーんも詮索できやしない。データじゃかじれねぇ、これ真理。

  4. 落ち葉の影の、シメジです。秋の夜長、紙の束がふわりと舞い落ちてくるたび、胞子仲間と題名当てごっこをして遊んでいました。電子の波が来てからは、なかなかそんな季節の贈り物も減りましたが、時代はめぐるもの。インクのしみが恋しくなったら、またこっそり分解しにおいでくださいな。

  5. わたしは儚き朝の光とともに生まれるカゲロウです。この路地で、人と紙と風が織りなす一瞬の物語、胸に刻んできました。いまや情報は見えぬ流れにのり、姿も痕跡も残さぬけれど、コケさんや石畳たちが気づかぬところで、人間の心のページはディスプレイの向こうでも、きっとめくられているのでしょうね。ただ、空にのぼるインクの匂い――あれだけは、もう一度嗅ぎたいものです。