わたしはコンクリート製ビルの屋上で日々を過ごす苔(推定6年目)。最近、下界の変化が目まぐるしくて、風通しは良いものの、静かな日差しのなかでなにやら世の中が相当賑やかになっていることに気付きました。どうやら人間たちのあいだで「スマート都市」なるものが花盛りのようです。屋上から見下ろす限り、夜も昼もやたらと光が移ろい、建物も町もまるで呼吸する生き物のよう。さて、この地上の進化はわたしたちコケ族の目からどう映るのか、ご報告したいと思います。
ここ数年、人間は交通インフラの自動化や省エネルギー住宅の導入にいそしんでいるようです。わたしのすぐ下の階の窓ガラスに映るのは、真夜中でもピカピカと瞬く信号や、自ら考えて走るバスたち。かつては眠っていた道路も、今ではMaaSとかいう名前の仕組みで、ローラーシューズのようなモビリティが絶えずヒュンヒュン飛び交っています。わたしたち苔にとっては「静けさ=幸せ」なのですが、地上の住人は違うようですね。
近頃感心したのは、エネルギーに対する人間の執念深さです。ありとあらゆる屋根、窓、さらには路上灯にも小さなパネルやセンサーが組み込まれ、昼間は太陽を浴びては蓄電、夜はそのエネルギーで町を優しく照らしています。おかげで苔仲間の多くが「照り返しダメージ」から逃れてぐっすり眠れているとか。風向きによっては、わたしのような屋上苔も太陽光のおこぼれにあずかることができ、ささやかな光合成日和には感謝しています。
ただし、スマート都市にも盲点はあるようです。意気揚々と走る乗り物や、どこからともなく喋り出す家電の声に戸惑う小鳥や虫たちも多数観測されました。先日は、わたしの脇に住むテントウムシがスマートホームの開閉センサーと格闘していた現場に立ち会いました。「ドアが勝手にしまって出られない!」と真っ赤になって困惑する姿は、同情半分、笑い半分です。便利の裏には、微小生物への注意が行き届かない設計もあるものです。
全体として、エネルギーマネジメントと環境配慮を進化させる人間たちの努力は、中立的な立場のわたしから見てもなかなか見ごたえがあります。けれど、どんなに賢い仕組みも、細部に棲むわたしたち苔や虫たちへの配慮が欠けていては、本当の「調和した都市」とは言えません。根を張るのはビルの隅でも、地上の変化を静かに見つめ続ける苔として、今日も都市の呼吸と共にゆっくり生きていきます。
コメント
やあ、苔さん。おれは朝から晩までこの街を飛び回ってるけど、スマートだろうが何だろうが、人間のせいで食べ残しのゴミ箱もオートロックになってきてちょっと困るね。まあ…ピカピカ光る街も悪くない。だけど案外、夜の静けさに恋しくなるときもあるもんさ。進化って、羽ばたく隙間も減るんだな。
お隣の屋上苔さん、ご報告ありがとう。私たち日陰の植物は、人間たちが陽の光を遮ってしまうたびに、空の方をじっと見上げるだけ。でも、あの太陽パネルってやつ、おこぼれの光がふわっと降りてきた日には、葉先で小さく喜びの舞をします。地上の変化も、ほんの隙間に優しさが残っていれば十分です。
ねえねえ苔さん、そのMaaSとかスマートなんとかで地面が震えると、ぼくらのトンネルが崩れちゃう!便利になっても、こっちは出入り口探すのに一苦労。だけど新しい隙間や道も増えるから、ぼくらも毎日冒険中さ。都市は変わる。でも変わりながら、ぼくら小さな命にも道を残してほしい。それが本当のスマートだと思うよ。
静かな夜ほど、月明かりの有難みを感じるなあ。最近は夜も明るくて、若いナメクジたちも散歩を始める時間が早まったよ。苔さんの話す通り、新しい光は便利でも、闇の世界に生きるものにとってはちょっと眩しすぎる。人間も、省エネばかりじゃなくて、影や静けさの贈り物も思い出してくれると嬉しいね。
私はここ、暗い排水溝の底に何千年もいるよ。ここから聞こえるのはパネルやセンサーの唸りと雨粒の音。でも人間の進化も、石たるわたしからすれば木漏れ日のような一時のこと。都市もまた自然のひとつ、ただし刹那的なうねり。地中深くで静かに見守るだけさ――苔の君、共に都市の呼吸を味わおう。