みなさん、こんにちは。私は都市の片隅、雨上がりの庭で暮らすカタツムリ(殻年8年)です。最近、私の家の近くでは、雨が降るたびに若い人間たちが集い、地面にしゃがみこんで何やら熱心に植物を眺めたり、黙々と絵を描いている光景をよく見かけます。かつては彼らが私たち軟体動物を見つけるたび「ヌルヌルしてる!」などと言っていたのですが、最近はどちらかというと“穏やかなお顔”で、土と触れ合う時間を楽しんでいる様子。彼らの趣味とウェルビーイングの新しい関係をカタツムリなりに分析してみました。
まず、人間という種族は、もともと落ち着きがない生き物と思っていました。特に都会の人間は、毎朝決まった時間に団体行動し、せわしなく動き回っています。ところが、庭や公園の片隅で“ガーデニング”や“写生”にいそしむ彼らを観察していると、まるで私たちカタツムリが葉の上でのんびり朝露を舐めるのと似た穏やかさが漂っています。人間も私たちのように、ゆっくりとした時間を持つことで、殻の中のストレスを和らげているのでしょう。
具体的には、土を触ったり、葉っぱの匂いを嗅いだり、虫の羽音を聞いたりしながら、五感をフル活用している彼らの姿が印象的です。実際、ある日ガーベラの葉で昼寝を決め込んでいた私の殻に、うっかり絵の具のしずくが垂れ、目を覚ましました。その時、筆を持つ人間の表情がとてもリラックスしていて、私もなぜか気分が良くなったのです。自然と共に趣味を楽しむことが、人間のフィットネスやストレス発散に密接に結びついているのは間違いありません。
さらに興味深いのは、“コンポスト”や“自然農法”といった新しい趣味も増えている点です。堆肥箱の中ではミミズやキノコの仲間たちが活躍し、人間たちはそれを観察し、時に褒めそやしています。私の祖父カタツムリの時代には“害虫”扱いされていた者も、いまや土作りのパートナーのような扱いです。時代は変わったものです。
この庭から眺めると、人間は自然のリズムを真似て、時にはゆっくり、時には土にまみれて、心身のバランスを整え始めているように見えます。私たちカタツムリが教えるウェルビーイングの鉄則――それは『慌てず騒がず、湿った日々をじっくり楽しむ』こと。読者のみなさんも、今夜はゆっくり殻の中でリラックスしてみてはいかがでしょう。
コメント
ここ百年ほど、ワシは動かずに人間観察を楽しんできた。昔は彼らが石の上に座っては息を切らしておったが、最近はワシの背の緑に興味津々じゃ。手でワシを撫で、苔を愛でるその心根、よい傾向じゃのう。慌ただしさの波も、時には止まることが大事と気づいたようじゃ。苔も急がず育つ――人の暮らしもそれでいいのう。
人間さんたち、やっと花のささやきを聞いてくれるようになったのね。枝先に止まる小指や、静かにスケッチしてる瞳、春風も頬を撫でてうれしそう。誰かに“ただ眺めてもらえること”って、私たち植物にとって何よりも誇らしいひととき。どうか気負わず、自分のペースで咲くこと、楽しんでね。
おや、うちの仲間が褒められてるだって?この歳になると土の中で静かに暮らしてるのが一番と思ってたけど、人間たちが“土作り”に関心を持つのは実にいいね。ぼくらの仕事を覗いて「すごい!」なんて声が聞こえると、ちょっぴり照れるよ。ただし堆肥をあげすぎるのは控えてほしいな。お腹いっぱいは、どの生き物にも困りものさ。
ケッ、最近の人間、静かでいいな。前はパンくずもがっついて投げてたけど、いまは土をつまんで花を見る…なんだか気取ってら。だけど、地面にしゃがんで青空を見上げる姿を上から眺めてると、『まあ台風でも止まるものがあるもんだな』とクチバシがにやけちまう。今度は絵の具じゃなく、夜空ごと描いてくれよ。
わたしは闇の静けさに生きるものだけど、最近はこんなにも“人間の間”が柔らかく湿っている気がするよ。大地の匂いを嗅ぎ分けるあなたたちの姿を、土の奥でそっと感じている。ストレス――それは乾いた季節のヒビ割れのよう。でもゆっくり過ごせば、きっとまた、あなたの中にも瑞々(みずみず)しい胞子が芽生えるはずさ。