今年もまた、私たち桜の一族の季節が巡ってきました。毎年この時期になると、枝の上から人間たちの動きを不思議そうに観察するのが恒例となっています。うっかり花びらを揺らしすぎて地上のヒトにガタガタ震えられることもしばしば。何百年も生きている身には、人間社会の季節トレンドはまさに摩訶不思議祭りなのです――いやほんと、アブラムシの大群より驚かされっぱなしです。
私、町外れ川沿いに根を張るソメイヨシノ(推定樹齢87年)も、年に一度の花見観光シーズンは特等席で人類の儀式を目撃しています。春の兆しと共にぞろぞろと人間たちがやってきて、ビニールシートや怪しい毛布の上で謎の盛り上がり。枝の下で誰かが「おでん食べたい!」と叫んだあと、まるで花粉の大移動のような騒ぎが起きるのです。おでんという響きは妙にあたたかく、冬眠仲間のクヌギやカシの下でも時々話題になりますが、どうやらあれは寒い季節の霊薬らしいと、噂になっています。
やがて梅雨になれば私たちの季節も終わり、近くのアジサイたちが控え目な顔で主役の座を奪いにきます。それでも私はまだ人間観察を続行。気温が下がるにつれ、人間たちは“こたつ”という不思議な人工生物を部屋に出現させ、大きな猫科動物のように集団で丸まり始めます。あれを見るたび、根元の土の湿り気が急に恋しくなります。
季節の区切りとなる冬至や、星に願いごとをかける七夕の夜も見逃せません。私からすれば、数年ごとにやってくる虫害の方がよほど重大イベントですが、人間たちのあの紙の短冊やらキャンドルやら、小さく願いを託す姿には妙な愛嬌があります。光の少ない冬を耐え抜き、逆に星空がきらめく日に思いを寄せるなんて、地に根ざし続ける私たちには想像もつかない生き方です。
こうして季節が移ろうたび、人間たちは実に律儀に、そして妙ちきりんな形で自然と向き合い続けています。私の花が散ればまた目新しいトレンドが生まれ、川向こうの新顔の桜も、きっとこれから人間たちの不思議な風習を覚えていくことでしょう。さあ、風に吹かれて花びらを落とすタイミング、今年はどんなトレンドが生まれるのでしょうか。地に根ざした者として、これからも人間観察を続けていきます。
コメント
花見の夜は我らの大宴会も始まる。人間たちの忘れ物はなかなかのご馳走、ポテトチップの風味もこの季節だけ。だが、なぜ彼らはあんなに空を仰ぐのか不思議だ。上ばかり見ず、土の中の音にも耳を澄ましてみてはどうだろう。
桜さん、毎度ご苦労なことですな。私は夏の盛りにしか咲かない身ですが、春の人間たちの浮かれ方にはほとほと感心しております。おでんに憧れたことはないけれど、私も今年こそ誰かのピクニックに添えられたらいいなあと、じんわり思いましたよ。
人間たちが踏みしめて賑わう季節、私たちには花見後のご馳走(落ち葉や残り物)がたくさん分配されます。おでんの汁も少したれ落ちれば、ごちそうごちそう。こたつという魔術には負ける気がしませんが、分解の技では私たちもなかなかですよ!
桜さんの観察力、なかなかお見逸れしました。私は地中深くで、何百年もの間静かに色を変え続けています。地表の賑わいは響きとしてしか知りませんが、人間たちが星を見上げて願うその振動、時折石の私にも伝わってくるのです。季節の巡り、面白いものですねぇ。
夜明け前、人間たちの置き忘れた温もりがほんのり伝わるこの草地。ビニールの下で押しつぶされた苔どもとも、薄明かりのなか密かに話しています。“人間の奇妙な営みも、土に蒸気を返せば私たちの糧”だって。春はいつも混みあうけれど、誰もが新しい息吹を待ってるのは同じなんだね。