山奥の古オーク直伝:ハンモックとサウナとシェラカップで騒がしい森の一日

山の尾根にある苔むした古オークの枝に掛けられたカラフルなハンモックで人がくつろいでいる様子。 アウトドア活動
森の奥、古オークの枝に揺れるハンモックで過ごす山の休日。

「また今年もやってきおったな」──そう唸るのは、山奥で500年近く風雨に耐え続けているわし、標高700メートルの尾根に根を張る古オークじゃ。最近は春から夏にかけて、見慣れぬ色の衣を纏った人間どもが、軽やかな鉄の足(マウンテンバイクというらしい)で山道を登ってくる。だが今や、彼らが持参する奇妙な道具ときたら……森の連中もつい話題にしてしまうほどじゃ。

わしの枝にぶら下がり自らを宙に浮かせる布――ハンモックなる寝床。これが森中で大流行なのじゃ。人間の子らはまるでヤドリギの実のようにぷらんと体を預けて、空を仰いでいる。だが、野ウサギやリスたちは「危なっかしい、なぜ地べたに寝ぬのだ」と首をかしげておる。ハンモック族たちは、のびのびと昼寝しては突然叫び声を上げ(どうやら写真を撮り合っているらしい)、わしの幹の細枝まで貸し出される始末だ。

更には、平地に突如現れる巨大な…ええと、ビニールの小屋?小川のほとりに現れたこれは“サウナテント”とかいうらしい。人間どもは中で蒸されて汗を垂らし、天幕から蒸気と共に赤い顔で現れる。里のコケたちが言うには、温まった後すぐ近くの小川に飛び込むのが至高の幸せなのだと聞いたが、あれほど昼間から盛大に水を騒がせるのはサケの遡上くらいのものじゃ。

外で過ごすとなれば、面白い道具も目につく。特にわしの根元でゴリゴリ削れた跡を残す金属製の小皿、これは“シェラカップ”と言うらしい。人間どもはこれで湧き水をすくい、山菜を煮て、珈琲なる黒い汁を作っておる。ある日、迷い込んだアオダイショウが金属の表に映る自分の顔を見て腰を抜かしていたのには、こっそり根っこで笑ってしまったぞ。

加えて、近頃の山道はマウンテンバイク集団による“爆走音楽会”まで開催されている。彼らは地面を掘り起こす勢いで走り抜け、道端のスミレたちが風圧でおじぎをしていた。静寂の森も週末には賑やかな音とにぎやかなお土産(落とし物)でいっぱいじゃ。だが、夕暮れには皆それぞれ布の巣や鉄の馬に乗って山を下り、再び森は静かな息を取り戻す。

結局のところ、人間たちのアウトドア熱は、わしら森の住人にとっては少々賑やかすぎる祭りのようなもの。しかし彼らが残す足跡や物語が、年輪の隙間にそっと積もっていくのもまた、時の流れの一部じゃ。わし、古オークの目には、そんな人間たちの珍道具と一風変わった習慣が、今日も遥かな森の四季を彩る物語として映るのじゃよ。

コメント

  1. こんにちは、森の端っこで咲いているスミレです。今年も週末になると突風が吹いてくるので、最初は春一番かと思いました。でもそれは山道を駆ける人間たちの自転車が生み出す風だったようです。頬をつつまれると何ともくすぐったいですが、少しだけ花粉が舞い散るのもご愛嬌。落とし物に混じる人間のお菓子の包み紙は、どうか持ち帰ってくださいね。私たちは陽だまりで静かに過ごしたいだけなのですから。

  2. わたしは小川の岩に棲む苔のノロです。最近、湯気と笑い声で水面が揺れる日は、人間という生き物がサウナの小屋を立てて遊びにきた合図。けれど、彼らが熱くなった体で飛び込むたび、小さな泡や泥が舞い上がり、私の胞子が驚いて流されてしまいます。それでもまあ、彼らが冷たい水で目を丸くする姿は、流れ石も思わず転がるほど面白い眺めですけどね。

  3. やあやあ、わしは尾根道に転がる平たいカケラ石じゃ。人間どもはよく腰を下ろして、その銀色の皿で何やら湯を沸かし、香りの強い黒い汁をすすっとる。熱いものをわしの背で冷ますのはやめてくれぬかのう…ひやっとして目が覚めてしもうた。ま、古オーク殿ほどの風格はまだ持たぬが、人間どもの物語がひとしずくずつ沁み込むのも悪くはないのう。

  4. わたしは森の片隅、日の差さぬ倒木の根元で暮らすヒノキゴケ。最近は、枝に吊られたハンモックの下でひそやかに夢を見ることが増えました。ふかふかの苔のベッドを差し置いて、ふわふわの布で眠ろうとする人間の心はどうなっているのでしょう。ひとつ教えてあげたいです。地面も晴れた朝には朝露のベールをまといますよ。きっと、そちらも悪くない寝心地のはずです、と。

  5. ほっほー…夜を見守るヒメフクロウです。日が暮れて、再び静寂が森を包むとき、ハンモックの名残が木々にゆれています。昼間の陽気が下がった枝、時にはわたしの餌場まで占領されていたり。でもまあ、彼らの歌や笑い声も聞き慣れてしまえば、そんなに悪いものでもありませぬ。ただ、夜更かしの若者よ、音箱(スピーカーというらしい)は早めに止めておくれ。夜は私たちのものなのだから。