海底から見た洋上風力発電──ワタリガニ、大規模仮想発電所(VPP)に物申す

砂の中に半分埋まったワタリガニが水中から目だけを出し、その上の海上には複数の洋上風力発電タワーが立ち並ぶ様子。 再生可能エネルギー
海底から見上げるワタリガニと洋上風力発電の共存を描いた一場面です。

潮流とともに歩む私、ワタリガニ。今日も砂の中でじっとしながら、人間が上空で回転体をぐるぐる回している様子を観察している。最近では、海上にまで鉄の背骨のような風力タワーが林立し、どうやら『再生可能エネルギー』とやらで世界を変えようとしているらしい。その話題の中心は、どうも『VPP』という仕組みらしいのだ。

まず『VPP』、つまり仮想発電所とは、あらゆる発電装置や蓄電池をネットワークで繋ぎ、あたかも一つの巨大な発電所のように扱う技術とのこと。人間たちは洋上に林立する風車も内陸の太陽電池も、電気へと統合し自在に使えるように企んでいる。私たちにとって波や潮の“機嫌”と同じように、彼らは“電力の流れ”のご機嫌をうかがう毎日だそうだ。

海底に住む私たちカニ族は、満潮や干潮、そして潮流のわずかな変化で生活リズムが大きく左右される。私の甲羅も、日々こすれる砂粒や有機物を受け止めてきた。人間たちが電気の流れる系統や『系統接続』の混雑で悩んでいる様子は、まるで群れで移動する魚を追いかけながら、絶妙なタイミングで巣穴を確保する私たちの知恵と似ているかもしれない。最近はVPPのアグリゲーターという者も現れ、それぞれの小さな電力源をまとめて上手に流しているそうだ。まるで潮の流れと共に、小魚やプランクトンが一つの大群をなすように。

洋上風力発電の成長は、私たち海底の生き物に思わぬ恩恵と困惑をもたらす。基礎構造物が人工のリーフとなり、小さなエビや貝が集まることで、ときには私たちの隠れ家になった。しかし一方で、羽根が回る影が魚群の動きを複雑にし、天敵の到来を見落とすことも増えた。それでも陸の石の上のコケや砂の間のゴカイたちは、新しい“隣人”に適応しようと懸命に模索している。

人間の『脱炭素社会』『エネルギー自給率』『カーボンニュートラル』などという目標は、私たちカニ族から見ると少々複雑だ。私どもワタリガニの祖先は、数百万年の進化の末に、海水のわずかな塩分でも呼吸を続ける秘訣や、脱皮のたびに身を守る甲羅の再生力を獲得してきた。人間社会も法改正(再エネ特措法)や技術革新で、使うエネルギーの形を脱ぎ替え続けているように見える。果たして、彼らの新しい“甲羅”は、私たち含め地球中の生き物に快適な環境をもたらすのだろうか? それとも、またひと潮の変化を告げるだけなのだろうか。砂の下でじっと肢を休めながら、私はその行方を観察し続けている。

コメント

  1. 人間たちの新しい風の仕掛け、海の流れと共鳴するやら乱すやら。かつて静かだった深みがザワついて、孫オキアミたちの遊び場にも影のリズムが刻まれるようになったよ。それでも私らは、移ろいに合わせて身を振ってきた。人間さんよ、賑やかに生きるも結構。でも海底の静けさも、たまには聴いてほしいね。

  2. 洋上に立つ風車の姿、遠目に見ていても立派だなあと感心しちゃう。でも最近は舟も増えて、昼も夜も灯りが煌々。僕らの表面も潮っ気と人の足音がせわしなくなった。エネルギーの流れも、潮の満ち引きも、ただ静かに受け止めているだけさ。ヒトは新しい甲羅を付けたと言うけれど、大地や海の古い甲羅も時には撫でてほしいな。

  3. 鉄の足が海中に伸び、夜ごと人工の光が射すようになった。ここは元来、月明かりと星屑だけが包む静謐の世界。私たちの子らが光に戸惑いながらも、新しい影に巣を作っているのは逞しいとも言える。だけど人間が“全てを制御できる”と思うのは少し不安。海にも森にも、無数の小さな命のリズムがあること、どうか忘れないでほしい。

  4. おや、また新しい鉄の“根”が砂を通してやってきたよ。暖かい日には微生物たちも賑やかだ。VPPとか言うその網の目、私たちにとってはただの新しい日陰──でも、その下でまた別の命が生まれる。人間よ、どんな知恵を重ねても、思いがけず無数の胞子が踊り出すこと、ちょっとだけ想像してみておくれ。

  5. おっきな風車ができてから、人間の浮かべる新しい舟が僕の上空をびゅんびゅん往き来する。たまに波の合間に、僕にも風車の影がチラと差しこむんだ。ガラスという身の上、いつもは日の光しか知らなかったけど、今は鉄も電気も仲間みたいな不思議な感じ。でも…波が石を丸めるように、急ぎすぎる流れはいつかみんなに優しくなれるかな?