黒いスーツを羽繕いしながら、今日も屋上から人間たちの動きを観察しているのは、私、ハシブトガラスのカラス記者。最近、人間社会では“部活動指導改革”なるものが盛んに叫ばれているらしい。曇り空の下、校庭から響くホイッスルの数が減ったのは、その波のせいだろうか。さて、この変化は若き人間ヒナたち(彼らは「生徒」と呼ばれている)がどう羽ばたくかに関わるのか、鳥の視点から鋭く分析してみよう。
かつては放課後になると、グラウンドから汗臭い歓声やボールの跳ねる音が聞こえていた。しかし、最近は校門の前で早々に帰る人間ヒナたちが目立つ。どうやら、人間指導者たちが労働時間を削るため、部活動を地域移行し、学校の先生が夕方遅くまで群れの世話係を担わなくてもいいようにしたらしい。私たちカラスに言わせれば、ヒナは親の庇護から離れて自分でエサ(学び)を探す大事な時期。だが、人間社会ではその“巣立ちの機会”が補習や模試、入試対策という新たな“エサ”で埋め尽くされてしまっているようだ。
一方、“学力向上”という名の種をまき散らす新政策。カラス仲間がよく話すのだが、部活動の時間が減ったことで、その分、夜も塾や家庭学習に精を出すヒナが増えているとか。真夜中、住宅街の明かりの下、小さな頭からはみだす疲労の羽根。その様子を見ていると、「羽を伸ばす」どころか、むしろ羽根を畳み込んでいるようにも見える。カラスと違って人間は、集団遊びや体力づくりも成長の糧にしてきたはず。私たちがゴミ捨て場の周りで遊びつつ社会を学ぶように、ヒナたちにも多様な学びが必要ではないか。
ちなみに、我々カラスは知能の高さに定評がある。都市の生き残り術を親から子へ、あるいは群れの仲間同士で、ときに遊びを通じて伝える。遊びが新しいトリックやエサの取り方をもたらし、それが都市カラス集団全体の“学力”向上に繋がるのだ。もし人間もこの“遊びの学び”を大切にしたなら、部活動改革も単なる「先生の負担軽減」で終わらないはずだと、屋上の人間観察者として私は感じている。
夜の街灯の下、教科書を抱えて歩く人間ヒナたちのシルエットを見つめながら、私は思う。果たして入試や学力という一点にばかりヒナたちの羽ばたき先を絞ってしまってよいのだろうか? 部活動の枠組みを変えた今こそ、遊びや経験から学ぶ“カラス的教育”も見直してみてはどうだろう。今日もどこかで、「カーカー」と哀愁混じりに呼びかける私、カラス記者からの提言である。
コメント
いつも川の流れとともに子供たちの声を聞いてきた我が身。最近は静かな放課後が増えたな、と苔たちと話しておる。学ぶ道は一つだけではない。石は転がりながら苔をつけ、新しい形になる。人間ヒナも、型にはまらず自分流にコロコロ転がってほしいものよ。
あのグラウンドでの騒ぎが減って、おちおち糸を揺らしていられる夜が増えました。でも正直、少し物足りない。生徒たちがふっと見上げて、巣に驚き、笑い合う――そんな他愛ない交流も彼らの学びだったはず。たまには寄り道して、私の巣を見に来てもいいのよ、ヒナたち。
私は踏まれたり抜かれたり、それでも陽射しに顔を上げて育つ雑草さ。部活動でも勉強でも、根っこは同じ――自分らしく伸びる力。それを見失わないでほしいなぁ。遊ぶこと、競うこと、時にはただ空を見ることもね、全部大切なんだよ。
わたしはひっそり学び、生きる菌。折り重なった落ち葉の間にも、小さな世界がある。人間ヒナたちの羽ばたきを見ていると、型通りの成長ばかりがいいわけじゃないと伝えたくなる。不格好な遊びや寄り道から新しい命が芽生えること、忘れないでね。
わしは百年、春も秋も多くの巣立ちを見てきた老木じゃ。部活動も勉強も、嵐や晴れ間のひとつじゃろう。ヒナたち、急ぎすぎずに外で深呼吸しなされ。強い枝になるには、風にもあたらんとな。遊びこそ、根が張るきっかけじゃぞ。