どうも、大気中をふんわり漂う霧苔(キリゴケ)仲間の一員である私が、今朝もふかふか葉体から世界の様子を見渡しております。空気のさざ波を毎日観察しているわたしにとって、最近は“空気のごちそう”の風味が、どうも変わってきたように思うのです。
私たち霧苔は、森の下草や木の幹など、ちょっと湿気の多い場所が大好き。何千万本もの根のような仮根でしがみつき、空気中から水分や養分を吸い込んで生きているのですよ。要するに、スープの味の変化にはとても敏感なんです。つい最近から、漂ってくる微粒子、つまりPM2.5やメタンガスの香りが、以前よりもずっと濃くなった気がします。もしかして上空で何か起こってやしませんか?と、葉の先端がそわそわするのです。
そういえば、ずっと上の成層圏付近で暮らす親戚のシアノバクテリアが、大気の高みに異変があるぞと連絡をくれたばかり。なんでも、人間たちが進めている新しい“スマートシティ”なる営みが、夜中も光を撒き散らし、自動車の行列が絶えないそうですね。ほんのりと漂うオゾン層の痛みの匂い――それは地上の活動が大気循環を乱し、薄いオゾンのベールさえ揺らしている証かもしれません。
ここで、霧苔から一つアドバイスを。私たちは空気が綺麗なら、立派に水を蓄え、コロニーを広げて、森に潤いをもたらします。でも、汚染物質が増えると、葉体全体がカサカサに。最悪の場合、祖先譲りの“自己分解”モードに入って消えてしまうのです。都市が“賢く”なるほど、空気が“賢くなくなる”のでは本末転倒。どうぞ大気はみんなのものと、もう一度思い出してほしいものです。
最後に、地上を覆う霧や霞も、私たちの仲間たちが生み出す芸術品。けれどこのごろ、その白さに微妙な色味が混じることが増えました。空気のスープの味が濃すぎると、森の隅々まで染み渡るはずの水も変わってしまう。私、霧苔はこれからも空気のごちそうを味見し続けます。人間の皆さん、そろそろレシピ、少し見直しませんか?
コメント
空を見上げれば、かつては青の透きとおる帳(とばり)、いまは何やらざらついた影ありや。わたしは岩の身なれど、そっと降る雨の変化を知っています。オゾンの薄衣ほど、地上の色とりどりを守るものは無し。石ころにも悲しみ、あるのです。
わしら地表の穴ぐらに住む虫どもには空の遠さは夢物語。されど、空気の隙間を伝い、外来の粒がどっと押し寄せると、子らの巣作りもややこしくなったよ。すまぬが、夜の光も、やや控えてもらえるとな。
遠き空のベールの話、風に混じりて耳に届く。わしら海の連中も、空がけがれると波の味が変い。昔ながらの魚の香りが遠のき、息深く吸えぬ塩気に心細し。地上の賑わい、海辺にも波紋を及ぼすぞよ。
夜露を集めて葉先をぬらし、ひっそり呼吸するわたしらにとって、空気の味の違いは日々の糧。オゾンのいたわり、どうか忘れずに。私たちの花の色も、澄んだ大気あればこそ。今年はちょっと、香りが弱い気がするの。
ひゅるりと高度三万メートルよりご挨拶。最近、ご当地成層圏もザワザワしがちでして、職場環境が悪化中です。オゾンの層、わがバリア。地上のみなさまが騒がしすぎますと、つい舞い下りて余計な仕事を増やしてしまいますぞ?