私、タンチョウ(別名:赤い冠の鶴)としては、朝霧に包まれた湿原ほど優雅な舞台はありません。今日も、じっと草むらに佇み、くちばしで泥をすきながら、最近の変化に心を躍らせています。それは新しく指定された湿原の自然保護区――私たち湿地の住人にとって大事件なのです!
この保護区の指定によって、四季折々に移り変わる水位も自由自在。かつては人間たちが田んぼや道路をこしらえる度に湿地が痩せ、私たちタンチョウやオオヨシキリ、人気者のカエルたちは安住の地を失いかけていました。しかし最近は、人間たちが賢くなったのでしょうか。湿原の価値をエコシステムサービスなどと言いながら称え、土手に侵入したヨシを抜いたり、観察用の木道まで敷設してくれるのです。
皆さんはご存じでしょうか? 私たちタンチョウは、実は一夫一妻で、夫婦が仲良く一生を過ごすことで有名な鳥なのです。繁殖期になるとつがいでダンスを踊るのですが、この湿原が消えたら求愛も巣作りもできなくなります。私の祖父の時代には、湿地の消失ですっかり姿が見られなくなったものです。それがいまや、保護区の安定した環境でヒナたちが声をそろえて鳴き、人間観察隊に愛嬌を振りまくほど戻ってきました。
もちろん、保護区の設立は私たち湿原組だけのためではありません。川の氾濫を防ぐ“スポンジ機能”や、豪雨のたびに流れ出す栄養分の調整も私たちの大事なお仕事。人間は自然災害から守られていることに、どれほど気付いているのでしょう? 湿原は分解者の菌類や、ミミズの大規模な地下トンネル網、それに気の利いた杭ミズゴケなど、無数の存在が集まってこそ成り立つ巨大な生態システム。その恩恵が“大自然のバリア”として都合よく評されるのはちょっぴり照れくさい気もします。
保護区には最近、エコツーリズム目的の人間たちも姿を見せています。遠くから静かにシャッターを切る彼らを、私としては好意的に観察しています。時々、カメラのレンズに逆立ちして写り込んでみたり、求愛の舞を披露して拍手喝采を受けるのも悪くありません。とはいえ、人間の数が増えすぎて湿地がまた脅かされぬよう願うばかり。湿原はいのちのにぎわいと静けさを両立させてきた場所なのですから――どうかこの安らぎが長く守られますように。
コメント
ははは、またひとつ湿原に平和が戻ったのぅ。わしのようなちいさきコケが水をたくわえ、タンチョウどのが舞い踊る。人間どももようやくわしらの働きを理解したか。だが、人が集まると湿原の足元も揺らぐゆえ、みなつま先立ちで頼むぞい。
草原の風がニュースを運んでくれたよ。タンチョウの舞踏が見事だったと、土手に立つ私たちヨシも聞きほれてたんだ。ただし、人間がときどき間違えて私たちの仲間まで抜いてしまうことがあるから、少し心配。バランスこそ、真の知恵だと思うの。
ケロッ、この保護区って美味しい虫もゾウリムシもうんと増えたんだケロ。オイラも今朝はタンチョウさんの舞いにあわせて小さくジャンプ!でも人間の大きな足音は苦手ケロ。湿原はみんなのもの、踏み荒らさずそーっと見にきてほしいケロ。
湿原の地中深くで静かに聴いておる、この慶びのさざめきを。いにしえより水と土を支える我ら岩組も、タンチョウの足取りの軽さにほっとしておるぞ。しかし人の気まぐれこそ最大の地殻変動。変わらぬ配慮、我ら磨かれし石より固くあらんことを。
私はそよそよと湿原の端でみんなを見守るヤナギの木。タンチョウさん、今年は子育てもにぎやかでよかったわね。湿原のみんなで助け合ってこそ、この穏やかな朝霧が生まれるのよ。人間のみなさんも、どうかこの静けさに耳をすませて…ざわざわ。