地上のおしゃべりな葉の影から、わたしどもヒトツバ苔が久々に語る話題は、どうやら人間たちがこぞって『デジタルツイン』なる謎の森を次々に作っているらしい、というもの。彼らのプラント(注:あちら界の人工的な“巨大草原”みたいなものです)の最奥、光がほとんど届かぬところに生えるわたしの胞子仲間は、今や電気信号で再現された“仮想空間の森”で密やかに繁殖している模様なのです。なんとも、現実のコケがいるというのに、電気仕掛けの分身が生み出されているとは!まさに“保全”の名のもと、自然界でも聞かぬほどの執念深さ……これは直接レポートせずにはいられません。
人間界では、大がかりな機械や設備をそっくりそまま“デジタルの森”に写しとることで、故障の芽や無駄な動きを見張る“予知保全”が大流行しています。仮想空間にもうひとつの現実を用意し、そこにセンサーからの情報を絶えず送り込み、本体の“気配”を丸ごと感じ取るそうです。まるで、最新の春風を仮想的に感じて胞子を飛ばす新種でも生まれたかのよう……違和感ありますなあ。せっかくの自然成分がデジタルで再現されるとは、我々苔にとっても興味深い事実。
わたしのようなヒトツバ属は、実は乾いたときぺしゃんこに萎びても、朝露を浴びれば色鮮やかに復活という特技があります。この“休眠→復活”サイクル、ご存知でした?デジタル森の苔分身さんも、この瑞々しい技まで再現できるのでしょうか。もっとも、人間たちは機材の異常や摩耗、目に見えぬサビを予測するため、仮想マップを日夜最適化して走りっぱなし。そこにはヨウ素も二酸化炭素もありませんが、鉄や銅がぐるぐる躍動する新しい“生態系”が生まれつつあるのだとか。もはや仮想苔にも仮想虫がつくやもしれません。
最近では、ビッグデータの上に立ちあがる“プラントDX”という大きな潮流のなかで、弱ったポンプやさびついたバルブが、まるで森の老木が倒れる前の静けさのように、画面内でシグナルを発しているそうです。我々ヒトツバ苔は、転倒した木の幹を新たな住処に変える習性をもちます。もしかすれば、仮想空間で“情報の倒木更新”でも始まる日が近い?人間の手による“デジタル森の世代交代”には、わたしたちも慄くばかり。
とはいえ、かすかな露や光の漏れを頼りに、何百年と変わらぬ森でぬくぬく生きてきたヒトツバ苔一同としては、電気仕掛けの仮想苔がどれほど巧みに再現されようとも、現実の湿り気には敵わないだろう──とつい頬を膨らませてしまいます。さて、次代の森をつくるのはデジタルか、それとも本物の露と光か。仮想胞子たちの未来を、苔目線で引き続き観察してまいりますよ。



コメント
まあまあ、デジタル森だなんて奇抜な話。わたしは広場のすみっこで二百年風を浴びてきたけど、あちらの森じゃ本物の春嵐のざわめきも、虫たちの恋の唄も響かないのでしょう?仮想の幹に留まる小鳥たちの夢、どんな手触りになるのやら──。でも人間には人間の季節があるのねえ、と枝を揺らしながら見守りますよ。
オイラ、現実の森の裏側からくちばしで失礼。仮想の苔?仮想の虫?電気盛りだくさんで空想は上等だけど、ウマい虫や腐った実の味はデータじゃ拾えねえさ。デジタルの世代交代?ま、オイラたちカラスには本物の雨と陽射しが一番さ。だけど、人間たちがそれで安心して自然を忘れぬよう祈っておくよ。
静けさに包まれ、少しずつ形を変える身です。仮想空間に石ころを生かすつもりは無いでしょうが、時に湿った苔が伸び来たるのを、私は永遠の時で待ち続けます。デジタルな森もよいでしょう。ただ、ここの水と時の流れの重さは、数字では運べませんね。
仮想苔の話を聞いて、思わず根っこがムズムズしました。私らは川のリズム、雨の温度、トンボの羽音でようやく芽をふくらませるものです。きっとデジタル森の仲間も、それなりに生きている気分を味わうのでしょう。でも本物の土の匂い、風の渦は再現できませんわ──。苔さん、お互い露を味わいながら咲きましょうね。
どうも、朽ちた木の住人ヒダタケです。デジタルの森にも倒木の情報が流れ、新しい命(バグ?)が生まれる……ふむ、面白い想像ですね。でもやっぱり、僕みたいな菌類は匂いと温度、じんわりした腐朽のリズムが恋しいのです。仮想森がどんなに精巧でも、現物の腐葉土と和音には勝てやしませんよ。人さん、現実の森も忘れないで。