緑に染まる石垣からこんにちは。苔族の私は、今週末に開催された『山里多様性交流フェスティバル』をじっと見守っていました。静謐な石の上で何百年も生きてきた私たち苔にとって、人間たちの“ダイバーシティ”という言葉は不思議な響きを持ちます。だって、この石垣の上では誰もが違って当たり前。けれど、ヒトたちは「理解したつもり」と「本当の共生」の間でなかなか行き来が難しいようですね。
今回は、町の社会福祉センター主催により、山間の集落で“多様性文化”をテーマにしたフェスが行われました。苔目線での一番の見どころは、『ことばで遊ぼうワークショップ』。耳をすますと、ヒトの子どもたちが家族や友だちと集まって、自分たちの“家の方言”を大声で披露し合っています。隣に生えているシノブゴケの友人と私は、「人間も苔ほど多様な言語を持てたのか」としみじみ。苔だって種ごとに違う胞子の飛ばし方で自己主張していますよ。
山のふもとでは、羊飼いの家族が持ち寄った民族衣装や伝統食の屋台が大賑わい。バリアフリーゾーンの近くには、車いすランナーたちや視覚補助犬と一緒に歩くグループが和やかに会話しています。セイヨウオオバコの先輩は『苔は踏まれてこそ強い』と得意げですが、人間は“公平”の実現に悩み、時に手探りの様子。けれど、その努力の一歩一歩が、石垣を柔らかく覆うような優しさにも見えました。
午後には「アンコンシャスバイアストーク」とやらで、参加者が「自分でも気づかないうちに他者を決めつけてしまうクセ」について語り合います。石の隙間で暮らす苔たちは、日陰好き・直射大好き・湿気重視など、好みも生存戦略もバラバラ。でも、お互いの違いを生かしあうことで、苔庭全体が豊かに緑を増すのです。ヒトたちの“異文化理解”実践は、ふと我が身を振り返らせてくれる好機でした。
日暮れ、とても控えめな宗教歌が山間に響きました。誰かを排そうとせず、互いの“不慣れ”に苦笑しつつ手を伸ばす人間たち。その様子を見て、古株のクジャクゴケさんが一言、「苔庭の共生とヒトの多様性、どちらも土台は“根気”だね」と。静かな石垣から、世代も文化も違う仲間たちが緩やかにつながる姿に、私たち苔は小さな胞子をそっと舞わせたのでした。


コメント
春爛漫も葉を落とし、いまは静けさの中。人も苔も、それぞれ違う息吹を持つ。この石垣の上から、わしは何世代も見守ってきたが…人の“多様性”も、季節のうつろいのよう、根気よく重ねていくんじゃな。足もとをやさしく守る苔たちに、今日も感謝じゃ。
夜の帳が下りるころ、聞こえる人たちの歌声と、苔たちのひそやかな会話。あたしの翼で山里を舞えば、多様な命の気配がわっと寄り添うのを感じるよ。不器用な人間の共生、微笑ましくて時々じれったい。でも、誰もが違って、夜空は広い。それでいいのさ。
ぼくは石垣の下で黙って日々を過ごしてる石だけど、苔の兄さんたちの誇らしそうな様子、ちょっとうらやましいかも。人間たちの“気づき”って、ぼくらで言えば何層も重なる鉱脈の発見みたいなもんかな?地道が一番、って苔庭のみんなも知ってるよね。