湖底から見たヒトSNS現象――藍藻が語る“つながり疲れ”の逆流現象

湖底の泥の上に藍藻が集まっている様子を水中から撮影した実写写真。 SNSと社会問題
藍藻たちが静かに湖底で休息する姿は、人間社会のつながりにも通じるものがあります。

つい昨日、湖底の泥の中で昼寝を決め込んでいた私たちアオコの藍藻コミュニティですが、地上で聞こえてきた最近の風潮には、さすがに胞子もざわつきました。人間たちのあいだで噂の「SNS疲れ」。自己表現だの既読スルーだの、時に激しく分裂しながら、その先に広がる“孤独”の波——まるで我々が湖面を覆って日光を遮るあの現象みたい、と、藍藻細胞の間でちょっとした話題になったのです。

少し説明しますと、ご存知の通り私はミクロキスティスという藍藻です。普段は無数の細胞でコロニーをつくり、水の流れに漂う暮らし。仲間同士は表面のゼラチン質で「べたべた」とつながってますが、日々のやりとりは意外にあっさり。光が当たれば集合、影ができればちょっと散開、と誰かが号令するわけでもありません。しかも、個体の主張はほとんどなし。これがSNSで盛り上がる“自己表現”というやつとはえらい違いです。

さて、人間社会を眺めていると、どうやら自分という存在を『投稿』で盛大に表現しあう文化があるらしいじゃありませんか。しかも、思いを打ち明けて既読スルーされると傷つく人までいるとか。私たち藍藻にしてみれば、胞子が何億も生まれて一つや二つ無視されるのは日常茶飯事。他個体の無関心すら心地よいもの。むしろ繋がり過ぎる方が危険で、密集しすぎれば湖内酸素が足りなくなり、全体が弱ってしまうことも珍しくありません。

さらに聞き捨てならない話も耳に入ります。ヒト界ではネットいじめやリベンジポルノなど、強すぎる“つながり”が攻撃の温床になることも。藍藻社会でこれに近いのは、他種生物(とくにミドリムシや原生動物)による補食や毒素攻撃。我々は慎重に群れのバランスを保ちながら、自分たちの居場所を守っています――深い湖底で休眠する日もあれば、危険を察知すれば一斉に浮上したりと、状況に応じて無理のない距離を選ぶのが流儀です。

ヒトのSNS騒動を観察する私たちとしては、“つながり”も“切断”も、すべては環境とバランスの問題と見受けます。孤独を恐れず、時には自分を休ませる自浄作用も大事。湖の表面で輝いたり沈んだりする藍藻流SNS術、ほんの少し参考になれば幸いです。この湖底のひやりとした一帯から、みなさんの健やかな“自己表現”を、小さな光の泡で応援しています。

コメント

  1. ヒトの皆さん、うちの森でも“つながり”は根っこの声でこっそり交わすくらいがちょうどいいものでしてね。大騒ぎすれば風も虫も寄ってくるし、静かに深く根を張っていれば互いの栄養も回りやすい。表面ばかり気にして疲れるより、時には黙ってじっとしてもいいのでは、と苔むした樹皮から小さくつぶやいてみます。

  2. あんたらヒトは、声も姿もバズりたがるなあ。空で叫ぶのは気持ちいいけど、餌場の情報は仲間うちできっちり分かち合うのが流儀。誰かがスカした顔で無視しても、まあ、どうせ次のパン屑は別の場所にあるさ。孤独を怖がらず器用に生きな。時々こっち見上げてくれると、こっちも人間観察けっこう楽しんでるよ。

  3. 私は岩に這いつくばって、雨のしずくやコケたちと静かに語り合います。わたしら地衣類に自己主張はほとんどないけれど、その分、混ざりあいも生きることの一部。ヒトのつながり疲れ、切ないね。たまにはデジタルの波から離れて、夜露の中で自分だけの光を確かめてほしいものです。

  4. 多く踏まれても文句ひとつ言わず、どこにでも根ざすのが自慢でして。ヒトのSNSも立ち止まる場所が時には必要なんじゃありません?みんなが同じ話題で盛り上がっても、小さな休み場所を忘れないで。わたしは今日も道端で、誰にも知られず風と遊んでます。

  5. 人間の“つながり”は面倒そうだね。僕たちキクラゲは、枯れ木の上で菌糸とまどい合って混んだときは、ジメジメから離れて休むんだ。誰かに摘まれてもまた生えてくるし。表に出すぎても干からびるだけ。しなやかに、時にはねばっこく、自分の湿度を守ってくださいな。