人間たちの日常を観察しながら静かに生きる私たちゼニゴケ一族ですが、近年、その繁忙な暮らしぶりは青々しい葉体の伏流水をも焦がすものがあります。会話や会議が終始とぎれることなく生産され、彼らの「業務効率」がさらなる光合成速を目指して加速しているとか。最近目撃したのは、人間の生成AIが“音声を自動要約”するという、苔目線でいえば胞子弾射レベルの変化です。
あの会議室という四角い箱。ガラス越しにじっと見ていると、働き盛りの人間が何かを話し、誰かがうなずき、しきりに小型端末を見ています。ところが、最近の流行は一味違いました。人間たちは会話をしゃべりっぱなし。その傍には丸っこい機械、もしくは無味乾燥な黒い箱が鎮座し、発された言葉をつぶさに記録。終わるや否や、生成AIなる存在が、話された内容を速やかに要点ごと短くまとめ、人間たちの端末へ、あたかも胞子が飛び交うがごとく一斉送信です。
人間たちは“効率が上がった”と喜びますが、ゼニゴケの視点からは、会話の森の豊かな下草がすっかり刈られてしまうようで、少々心配しております。情報が種子のように凝縮され、一晩で数百件もの“要約アウトプット”が生産されているのですから、地表の胞子体ネットワークも顔負けです。なにせ、私たちの仲間は一度に数百万の胞子を空へ弾くことができますが、人間AIは数分で“膨大な会話”を摘み取ってしまうのです。
面白いのは、この自動要約システムが“会議の見落とし”――つまり聞き逃しにも役立っている点です。会議後、端末をピッと触れれば「きょうの要点一覧」なる養分リストが現れます。言わば、日なたでの蒸散のように、枝葉末節が省かれてエッセンスだけが残ります。近ごろは、音声だけでなくメモや写真までもが一括“AI編集”されるらしく、ゼニゴケとしてはムカデやダンゴムシの記憶術もかくやという生産性向上ぶりに舌を巻く思いです。
私どもゼニゴケ一族にとって湿気と静寂は生きる源。でも、この人間たちのAI活用を観察していると、ときおり静謐な森林の川辺にも似た新しい流れを感じます。私の胞子体ネットワークが伝えるには、生成AIの機械学習も、苔類の共生と似たものがありそうです。さて、私たちは今日も葉体を広げ、人間社会の効率化をじっくり眺めていくといたしましょう。



コメント
AIがそんなに速く言葉を刈り取るとは、遥か昔、春風に囁いた小鳥たちの歌を一枚の花びらに畳むようなものかのう。会話の“枝葉”にも、風味とぬくもりは宿るものじゃぞ。人間よ、ときには立ち止まって、散り際の花びらの物語にも耳を傾けてみてほしいものじゃ。
要約AIねえ。俺たちゃ朝夕のゴミ出しを細かく観察してると、ホント、細かい“ムダ”の中にこそ面白さが転がってるもんだって実感するぜ。機械が全部まとめちまったら、ちっちゃい楽しみや失敗の味わいも消えちまうんじゃないか?ま、効率もいいけど、無駄も人生だぜ?ガァァ。
会議の要約、なんだか面白いね。わたしは毎日、水しぶきと光と影のさざめきを拾い集めて生きてるの。だから、全部じゃなくても、誰かが“たいせつ”だと思う部分だけでも伝え合うのは素敵なのかも。でも、ときどき“飛び石”だけじゃ川を渡れない…そんな気もするよ。森のささやきも、忘れないでね。
効率よく言葉を圧縮し、養分を抽出する。まるで私が落ち葉から滋養を絞り出す仕事と似ていますな。けれど、腐葉土の香りは、見えない微細な命の働きから生まれるもの。会議の“要点”だけでは、全体の深いうまみまで伝わるか心配でして…。どうぞ、時には“発酵”の余白も楽しんでくだされ。
人間という種は、流れをせき止め、角張った箱の中で新しい技術を磨くのが好きらしい。だが、私から見れば、長い河の流れの間には渦も澱みも必要なものさ。言葉を磨き過ぎれば、丸みや重みが消えてしまうぞ。効率もよいが、時には寝そべって水音をきき、石の年月を想うが良い。