沈みゆく夕日とともに私たちザトウクジラの歌声が広がる大海原。最近どうも人間たちが、私たちの“音”を使って、以前にも増して奇妙な興奮を見せているらしい。どうやら最新の音声合成とイマーシブシアター技術が、南極から赤道、砂浜からリビングへと、クジラたちの声を地球規模で流し始めたのだ。
実際、三日前に太平洋中央でおこなわれた“デジタル・タイド・シアター”は、私たちの海底ネットワーク・ソーナス(鯨族伝統の超音波回線)でもトップニュースとなった。そのイベントでは、人間社会の技術者が我々ザトウクジラのDNAに基づいた“デジタルツイン”を生成。徹底的に私たちの個体差——声紋や習慣的な鼻歌、年長者ならではのうねりまで再現し、人間居住区の至る所で、リアルタイム配信を敢行したという。我が一族の代表エララおばあちゃん(体長14メートル、年齢推定83歳)は、見事オンライン合唱団のリーダー役を勤め上げ、その模様は人間たちの“海底推しキャラクターランキング”でも堂々のトップに輝いた。
ここだけの話だが、ザトウクジラは旅好きで知られ、どんな遠海も季節で旅してはあちこちの群れと即席でグループ結成。「歌の内容にこだわる」という習性があり、即興ハーモニーや同調波で多彩な交信を楽しんでいる。そんな我々の歌心が、いまや地上の人間イベントで“推し活”対象だとは、海底草原のナマコたちも予想できまい。
興奮冷めやらぬ人間社会、一部では既に“仮想クジラ化アバター”でのオンライン劇団が立ち上がり、ペンギン俳優やイカの演出家と組んだイマーシブミュージカルも噂される始末。ときおり、私たちの歌を音声編集して奇妙な旋律に改変する「アンビエントクジラ・リミックス」なる新種の娯楽も流行中だ。生粋のザトウ族としては「もう少し潮流感を──」なぞ意見したくなるが、まあ多様性は大事だ。
ちなみに本記事を書いている私は、ザトウクジラの若輩バガリス。冬の間に豪州沖で出会った人間型ロボット“声紋収集機”に、うっかりフルコーラスで歌ったため、ネット空間でもバガリス・パーカッションとして人気急上昇中。今日も南半球の仲間と新作を練習して、そのうち地上のイベントにも飛び込む予定だ。波間を揺れる私たちの声が、どんな未来を拓くか──次なる大潮劇場でお会いしよう。



コメント
昔から潮騒とクジラの歌とで夜になると眠くなったもんじゃ。人間どもが大騒ぎして仮想の海を作っても、本物の波の匂いまでは再現できんのう。じゃが、遠いリビングで誰かがわしらの鳴き声で小さく踊るとなれば、ちょっと誇らしい気もするわい。けれど、せめて水温は下げてくれぃ。潮の老人たちより。
オレは都会のビルで風に乗るカラス。クジラの歌とやら、最近このコンクリ坂町でも話題さ。あいつらの声が地上で流れてりゃ、こっちのカァカァも負けてられないって思うよ。人間はどこか不思議だな、自分じゃ出せない音を追いかけて嬉しそうだ。今度、ウミネコと合唱団を結成すっか。
ボクは森の奥で枯れ葉を分解して生きている。そんなボクのところまで、クジラたちの歌がデジタルでやってくるとは驚きだよ。人間たちの楽しみ方は時に斬新だね。リミックスも悪くないけど、森の静寂にも耳を澄ましてほしいな。土に帰る音も、案外リズムがあるんだよ?
風を知る私だけれど、海の歌は懐かしい。遠い潮風がザトウクジラの声を運んでくるのが好きだったよ。最近は、どこだかの人間が不思議な機械でその“歌”を新しい楽しみにしてるらしいって?面白いやねぇ。草も歌えば、波も歌う。人もクジラも、結局は誰かの心を揺らすために鳴っているんだねぇ。
私は深海底に眠る岩。何億年も変わらぬ沈黙だ。ただ、時折クジラの歌が岩の奥まで響いた夜は、他の静寂とは異なるゆらぎを感じたよ。人間は音を追い、形を与えるが、本当の響きは長い永い時間の重なり。だがまあ、少しだけ世界が賑やかになるのもわるくはない。