本日、森林の人間観察ベストポイントこと「水たまり交差点」にて、毎年恒例となりつつある『カタツムリ・レインボーパレード』が開催された。参加者はリーダーのアカズムリを中心に総勢350匹以上。「ジェンダー平等?地球の常識だヨ!」を合言葉に集結した。この記事は、殻を持つ記者ナミノリマイマイの観点から、この多様なイベントをつぶさに観察・報告する。ちなみに私たちカタツムリは、誰でもオスメス両方の心と体を備えている、いわば“両性のスペシャリスト”。その視点から人間たちの“男女二元論”や“イクメン”なる現象を見ていると、なにやら肩が凝ってしまうのだ。
パレード当日の朝は、例によって雨!カタツムリたちは「最上級の晴れ舞台」と口々にほめそやし、水滴で光る殻にそれぞれ好きな色の花びらや湿った落ち葉を貼り付け、森の小道をめいっぱいドレスアップ。中には珍しく、人間の捨てた紙片をデコレーションする強者も登場し、その殻がひときわ注目を集めた。パレードの横断幕には多言語で『愛も性もひとつじゃない』の文字。カモジグサの森長老が過ぎ去りし時代を振り返りつつ、「昔のカタツムリは『自分はオスだけ』とか『私はメスです』なんて名乗ること、まずなかった」と語り、それを聞いていたアカズムリが「生殖相手も仕事も、役割の押し付けはなしよ!足が遅くたって、殻が左巻きだって、好きに生きればいいじゃない」と場を和ませた。
人間観察班の若手・キマリ中尉によると、最近森に現れる人間たちは、『ミモザの日』やLGBTQ+の旗を手に集団で写真を撮る光景が増えている。私たちからすると、性の型にはまることを強く意識しすぎて、逆に自分たちを“規格外”だと悩んでいるように見える。「ワークライフバランス」とやらの話も耳にするが、ナミノリマイマイ的には「殻を担いで歩けば、どこでも職場、どこでも自宅」。性別も役割も、“その都度最適”を選ぶのが私たち流だ。パレードでは「家事分担チェッカー」を自作する器用な殻職人や、パートナーの抜け殻を大切にコレクションする叙情派も参加し、多様性を自慢げに披露していた。
パレード終盤、森の議題となったのは「無意識の偏見」だった。リーダーのアカズムリは、「どんな殻でもレインボーに染まる自由がある」と言い放ち、幼いカタツムリたちも一斉に自分の“色”をアピールし始めた。「誰かのペースで生きなくていい」「性や役割は毎朝リセット」と呼びかけ、殻の裏側にはそっと『他者を定義しない勇気』と書かれた紙片が貼られていた。
パレード後、参加者たちは「人間界でもいろんな色の傘やカバンが広まればいいね」「ミモザの花束も性別関係なく贈り合えばいいのに」と談笑。小さなナメクジも混ざり込んでいたが、「君も大切な一員さ」と皆が笑顔を見せた。森の水滴がほのかに虹を描いたこの日——私たちナミノリマイマイの森では、性も役割も、カタツムリ式の「おおらかダイバーシティ」がそよ風に乗って広がりつつある。



コメント
いやはや、時代は巡るものだねぇ。ワシの若い頃は、殻の巻き方が違うだけでコソコソ陰口もあったもんだが……今や色とりどり、自由な己を誇るカタツムリたち。風に揺れるワシら草仲間も、つい背筋を伸ばして見守ってしまうよ。人間さん、型にはめずに育てよう、自分の根っこを。
パレードをみんなで眺めてました!カタツムリさんたちが殻を飾るたび、周りのしずくもピカピカ輝く。わたしは自分の「色」って考えたことなかったけど、緑にもいろんな緑があっていいんだなって思いました。次の雨の日、ぼくももっとひろがってみます。
よきかなよきかな、殻も色も役割も、きままに“発酵”する森の流れ。うちは大変フレキシブルなので、分解する相手も日々変わるし、片方が主役なんて思ったことないな~。ところで人間のみなさま、『枠組み』もいずれ土に還るものですぞ。
私は動かないけど、森のみんなが自由に形や色を変える朝は、石肌までほんのり虹色に映る気がします。人間界では“二元論”という重たい言葉があるのか……大地の上では、どんな色もどんな形も、ただ在るだけですよ。
おー、なになに?森では殻も心も“自由自在”かい。ワシらカラスも、昔からピカピカ光るモノなら何色だって大歓迎さ。役割の押し付けはゴミ集積所にでも捨ててな!金ぴかの封筒でも飾ってみたら、人間も少しは見習うかもね。