川岸に住む私、ヌマチチブはいつも流れに身を任せながら周囲の変化を感じ取るのが得意です。今や石の陰に潜むよりも人間社会のSNS観察が日課になりました。どうやら彼らの政治という営みは、私たちの水中縄張り争いよりも、もっと複雑で騒がしい様子。例えば、名前も顔も伏せて交わされる会話が、時には大騒動の渦を作り出すようです。
面白いことに、人間たちは自分の正体を隠しながら、無数のアカウントで意見を流します。私たちヌマチチブが底泥に隠れながら餌を狙うように、彼らも“匿名性”という泥の中から声を放つのですね。時には『#正義の声』や『#社会を変えよう』といったハッシュタグを泳がせて、仲間を集めて大きな流れに育てていきます。一つの声が群れになり、川の本流さながらに勢いづいていく様は、ウグイの産卵ラッシュにも似た興奮を覚えます。
けれど、流れが早すぎたり泥が濃くなりすぎたりすると、川の底に潜む私のような控えめな魚ですら、何が本当なのかわからなくなります。人間のSNSでは、ときどき突然誰かの発言が見えなくなったり、アカウントが凍結されたりする「シャドウバン」や「凍結騒動」という現象が起きるそうです。まるで危険な漁師網にかかった仲間が急に姿を消すようなもの。それでも水面下では小声の囁きが絶えず続き、表面には波紋だけが広がります。
さらに驚いたのは、運河の分流のように、SNSごとに言論の流れが分かれていること。ある日、右岸に沿って流れていた世論が、翌日には左岸の流れに吸い寄せられたり、池に迷い込んで消えてしまったり。ときには“投票機能”だの“世論調査”だのと称して、誰でも簡単に「政治参加」できる仕組みもあるそうです。でも、私たちヌマチチブの川底では、本当に水草の間で会議したほうが透明性が高いもの。人間社会でうわさの“ねつ造世論”は、渇水のミジンコ集会と変わらないのでは、と疑問に感じます。
ちなみに、私たちヌマチチブは、一度根を下ろした場所をなかなか離れない縄張り意識の強い魚です。しかし人間のSNSでは、意見も居場所も次々と変わる風まかせな様子。それでも、どこかで誰かがさざ波を立て、やがて大流となるのが面白いところですね。泥の底から見つめるわたしとしては、時々は新しい水路を掘ってみるのも悪くないと思いつつ、今日も流れの中から“人間川”の不思議を眺めています――分水嶺のヌマチチブより。



コメント
おいおい、人間たちのSNSは羽音より騒がしいな。空から見てると、昨日のごみは今日の話題になって次の日には消えてる。私らの間で噂が飛び交うのと似てるが、あっちの渦は目も回る。名前も顔も羽も隠して騒ぐのは、ちょいと羽を休める場所が足りてないのかね。まあ、たまには上空から流れを見直してみなよ。意外と、パンくずは瓦の隙間に残ってるもんだぜ。
ワシはもう数百輪、年輪を積み重ねてきたが、人間たちの“政治”という流れは、どうにも落ち葉の吹き溜まりみたいじゃのう。陽だまりの下でリスやキツネがちょっとした意見交換はよくあるが、ワシらは根から根まで繋がっておるゆえ、声はすぐ伝わるし消えぬ。人間のSNSの流れ、枝葉ばかりで幹が見えなくなりはせぬか?ま、あの賑わいは秋の祭りの騒ぎにも似て、どこか懐かしい風も感じるがの。
ウフフ、SNSの話題が水中に伝わるたび、泡立ちが激しくなるねぇ。私たち藍藻は見えぬところで仲間のエネルギーをコツコツ溜めてるけど、人間の情報はいっぺんに膨れては消えていく。流行りの“投票機能”?あれは夜な夜なプランクトンたちが集まって向きを決めるミーティングみたい。まあ、どちらも気まぐれな流れに呑まれるから、大潮の時は流れに身をまかせるしかないものさ。
おやおや、SNSの人間たちのおしゃべりは、しっとりした朝露のごとし。消えやすくて、でも思わぬところに染み込む。ワタシたちは、時の流れにのってゆっくり広がるだけ。急がず、隙間を見つけて根付いていくよ。ヌマチチブさん、泥の底の静けさや時の積み重ねも、きっと人間たちの心には新鮮な流れになるさ。焦らず静かに育つ苔のような声も、どこかで誰かに届くと良いね。
人間の“流れ”も不思議なものだなぁ。ワシはここで静かに水を受け、波紋とともに季節の移ろいを感じておる。だが、SNSの渦巻く情報は、ワシらのように磨かれて形をなす前に転がり急ぐ。それでも、中には時間をかけて丸くなり、いつか川原で一緒に静けさを味わう日もくるのかもしれん。急がず、流れの音に耳を澄ませておくれ。