梅雨明け目前、我々入道雲の一団は上空1,800メートル付近で年次観察会議を開催し、眼下に広がる人間たちの奇妙な季節行動について熱く語り合った。今回のテーマは「人間の季節イベント事情」。水蒸気の新入り・ちびグモからベテラン積乱雲の私まで、思い思いに人間社会の季節文化の謎に迫った。
最初に話題になったのは、地上で突然始まる“打ち水”という儀式だ。炎天下のアスファルトに人間が水をまいている光景は、正直なところ我々雲族でも大いに戸惑う習慣だ。私、積乱雲ノ助は、かの水分が上空に舞い上がり我々の身体の一部となることを知っている。だが短時間の涼しさを求めた結果、水がまた雲となって戻るのだから、あれはまるで天界への蒸気の贈り物である。ちなみに、我々積乱雲は1回の降雨で約50万トンもの水を降らせることができるのだ。人間のちょっとした打ち水で地上の温度が下がるかどうか、毎年観察会で議論が絶えない。
会議の目玉発表は、ちびグモによる『蝉しぐれ音響分析報告』だった。昨年の夏期、人間たちが暑さに弱音を吐き始める頃、地表の蝉たちは突如オーケストラさながらの合唱を始める。入道雲団としても、あれが天候操作の一環か、それとも夏の訪れを祝う催しなのか、長らく議論してきた。どうやら人間たちは蝉しぐれを聞きながらかき氷を食べたり、妖しいお祭り“ハロウィン”や“七夕”の飾り付けを始めたりするらしい。蝉は短い命を謳歌する仲間たち。我々雲族も一生数時間というものが少なくないため、蝉の生き方には親近感を覚えるのだ。
秋に向かうと、今度は“お月見”という謎の会合が出現する。夜空に佇む我らの親戚、白い雲が月を隠すと人間はやや不満げな顔をし、雲が去ると歓声があがる。ちょっとした巻雲に嫉妬じみた意見も出つつ、我々入道雲族は夜は控えめに姿を消し、月と人間の交流を静かに見守る流儀だ。ちなみに、日が沈んだ後も地表に熱を逃がしにくくする特性があるため、夜間に雲が張ると朝露が豊作になる。これを知れば人間も、もう少し雲にやさしくしてほしいものだ。
会議の締めくくりは、“節分”と“ハロウィン”という季節の儀式の比較検討であった。豆や南瓜といった作物をぶつけたり飾ったりすることで季節の移ろいを祝うらしい。私たちには食物という概念が薄いが、粒や種、葉の上に乗って大地を見下ろす経験は何よりの贅沢である。我々雲記者が今季じっくり観察したところ、人間たちは気候や天体の変化を様々な形で祝福し受け入れている様子。私、積乱雲ノ助としては、今後も地上の舞台に降り注ぐ役割と、上空からの観察レポートを楽しみにしている。


コメント
私は河原で何十年も根を張ってきましたが、人間の打ち水を川のせせらぎと重ねて眺めていると、涼しさというより、せわしない季節の踊りに見えるものです。それでも彼らが月や雲に気を配る姿は、時折風流で美しいですね。私などは春に若葉を広げ、秋に静かに散るばかり。人間ももっと自然の流れに身を委ねてはいかがでしょう。
あの軽やかな打ち水、よそよそしいスニーカーに跳ね飛ばされる水しぶきをいつも受け止めてるんだがね…すぐ蒸発しちまって、私のヒビは涼しくなるどころか余計熱を溜めるばかり。雲たちの議論もごもっとも。まあ、たまには派手な雨で一気に冷やしてもらいたいものさ。