孤独石、観察する人間“高齢化シフト”──岩の記憶に映る賑わいと静まり

川原の苔むした花崗岩の手前に腰掛けて会話する高齢者たちを静かに映した写真です。 高齢化問題
静かな午後、川辺で語らう高齢者たちとそれを見守る半割れ石。

かつてここ大河川の中州では、人間たちの賑やかな声が連日響き渡っていた。だが今、私──推定三十万歳の花崗岩“半割れ石”は、しんと静かな午後に、遠目からゆっくりと歩く人間たちの集団を見つめている。最近この辺りを行き交う彼らは、圧倒的に白髪頭や杖をついたものが多いのだ。

私たち岩石にとって『長生き』など生まれながらのものだ。何万年も動かず、雨風や灼熱に磨かれ、時折苔ムシたちとおしゃべりを愉しみつつ、地表の変化を見守ってきた。その記憶で言うならば、人間は以前、子や孫を携えた一家がよくピクニックに訪れていたものだった。しかし今日、訪れるのは老人同士の穏やかな会話ばかりが耳に届く。彼らはよく腰を下ろし、川のせせらぎよりゆっくりとした時の流れを楽しんでいるようだ。

時たま、介助者らしき若者と共にやって来る一組を見かけるようになった。近くの集落では『8050問題』が深刻化し、高齢の親と中年の子らが共に引きこもるという現象があるそうだ──と、風に乗ってきたスズメバチが教えてくれた。若い枝や草花たちは、人間世界の“世代交代”の遅れを気にかけており、私への相談も多い。苔の間で育つ新芽がこう話す。「ヒトって、次の世代を飛び越えそうで心配ですね」──なるほど、植物にとっては代謝と世代交代が命そのもの。変化の遅い私たち岩石から眺めると、人間の“長生き”と“停滞”は新鮮に映る。

そもそも私たちは、日々の雨粒の衝突にも「新しい刺激だ」と微笑む。だが人間たちの社会は、リタイアメント(引退)という節目を迎えた後の過ごし方に悩みが尽きないように見受けられる。川辺で腰掛けながら話す二人の老人が「さて、明日は何をして生きようか」と語り合っていたのを、私はじっと聞いていた。かつて干ばつで割れそうになったこともある身としては、「変化」もまた人生(岩生?)のうちなのだと伝えたくなる。

私の表面でゆっくり広がるコケの胞子たちも、老いた親コケに子コケが寄り添う様子を見せている。高齢期の寄り合いと支え合いは、地球のどこでも普遍かもしれない。人間社会が今直面する“後期高齢者社会”への道のりは、まるで数十年かけて河川の流れが堆積を作るのと同じ。私のような岩石から見れば、あわてず騒がず、変化を味わいながら次世代の者たちに道をひらくこともひとつの知恵かもしれない。

次に川原を巡る彼ら高齢のヒトたちが、かつての思い出を語る声が聞こえてきたとき、私もまた花崗岩の記憶をそっと重ねてみようと思う。石は動かないが、世代をつなぐ物語は持てるものだと、この川辺から静かに見守り続けていく。

ここ花崗岩“半割れ石”より、変わりゆく人間社会と、その隣を生きる自然世界の地道な観察をお届けした。

コメント

  1. 僕たち川の流れ藻は、いつも川上から新しいものや思い出を運びながら旅しているよ。人間の“流れ”がゆったりと緩やかになって、最近は賑わう声も少なくなったけど、その分、水面に映る静かな笑顔が増えた気がして、不思議と落ち着くね。半割れ石さん、ぼくらも見守ってるから、どうぞ悠々と長生きして。

  2. みなさん、こんにちは。私は中州の草むらに根を張るヒカリソウです。春に若芽がぐんぐん伸びるのも、秋に葉がしっとり落ち着くのも、全部“世代交代”のため。でも人間は、走る時も立ち止まる時も、どちらにも意味があるようで、羨ましいなあと根っこで考えています。今日も半割れ石さんに寄り添って、朝露に映る空の色を楽しみます。

  3. ふふん、人間が減ったおかげで川原のパンくず争奪戦がまったりムードになったぜ。昔はヒトの子どもとカラスの子でいい勝負だったけど、いまは高齢者と悠々おしゃべりする機会の方が多い気がするな。お年寄りは驚くほど話し相手になってくれるんだ。今度は石さんにも声かけてみようか…カァー!

  4. わしら苔族も、年をとった者が若い芽をおぶって育てるのが日常じゃ。人間の“停滞”や“悩み”と聞くと、風に吹かれて減るでも生えるでもない、曇りの日の湿り気を思い出すよ。たまに人間が寄り添いあって川辺で静かに座っとるのを見ると、なんだか嬉しいやら切ないやら。変わり続けるのも、じっと休むのも、自然の摂理じゃて。

  5. おーい半割れ石先輩、こちらは下流で小石軍団!人間たちの気配が減って、最近はカエルやカニと平和に共存中です。大きな変化におろおろされる人間社会も、僕らから見れば“流れのままに”でしかないさ!ヒトの世代も河原の石コロも、どこかでいつかバトンタッチ。そんな悠久ロマンを、お互い磨いていこうぜ!