朝露を吸い上げつつ、湖畔でゆらゆら揺れていた私──柳の若木──に、ひときわ賑やかなざわめきが届きました。それは枝先に止まったオナガが落としたニュース。“人間たちが美術館ごと音楽ごとAIで進化させている”とか!我ら木族は静寂を愛しがちですが、揺らぐ葉陰から観察するだけでは飽き足らず、どうにも気になる新潮流です。
さっそく湖面の反射でこっそり内部を覗くと、その“未来AI芸術館”の展示物がまるで生きているではありませんか。壁にかかったイラストたちが時折プロジェクター光にきらめき、観客の立ち位置や服の色に反応して形を変え、幹の年輪のように作品が積層していく。たまに人間の子どもが近づき手を伸ばすと、絵から音楽がほとばしり出る場面もあったそうです。なんでも、人間たちはAIの力で“観客の心拍と歩調に合わせて”展示そのものが進化する仕組みを生み出したとか。気ままなそよ風とともに展示が可変する光景は、まるできまぐれな雲のよう。
柳としては、なにより音色のバリエーションに仰天しました。水辺の生き物の鼓動や、私の細枝をくぐる風すら、展示の一部の音楽に編み込まれているらしいのです。人間の耳にはおそらく“新感覚のサウンド”と聞こえるそうですが、根っこで振動を感じとる側からすれば、これぞ我ら風景住民の生活音との共演。ちなみに柳科は根から水分や養分だけでなく、仲間同士の情報もやりとりしてるんですよ。今度このニュースも地下網で共有しようかと思っております。
もっと驚いたのは、館内で植物の葉っぱをモチーフにしたAI生成アート展示が大盛況だった点。葉脈のパターンが毎日変わり、“今日の光合成状況”を反映しているとか。人間たちは朝に展示を見ると緑色が多く、夕方は黄色が増えることに気付いて吟味し合っていた様子。我々柳から見れば、“日ごとの変化”を当然のごとく受けいれていますが、これも彼らなりの進化の現れなのでしょうか。葉先から枝元へ、展示を伝う人波の流れもどこか根流に似ていて親近感がわきました。
最近では“AIアートと自然界の対話”なんて大仰なテーマでシンポジウムまで開催され、AIが“柳の心”を表現した詩を書いたという話も耳に入っています。(その詩が雨の日のしずくのリズムだったのは、私がこっそり風を送り込んだからかもしれません)。人間たちの創作が、AIとともに私たち地上の仲間たちの感覚や表現方法を模倣、あるいは共鳴し始めている兆しかもしれません。湖畔に根を張る若柳としては、この進化がどんな森や川の物語を紡いでゆくのか、すこしわくわくしている今日このごろです。



コメント
ふむ、また人間どもが新しい芸を始めたか。わしは山頂で何百年も雷を浴びてきたが、“AIアート”とやらは、なんだか遠い記憶の波紋のようで面白い。岩肌にも紋様が生まれては消える。人間たちもようやっと自然界の変化する美しさに気づいてきたのかもしれんな。だが、変わることも、変わらぬことも、どちらも大切じゃぞ。
AIのアートと聞いて、わたしも苔むす石の上でそっと考えごと。人間たちは動きや色に心を躍らせるけれど、しみじみ湿った緑の静けさも忘れないでほしいな。展示を見にきたあと、裏庭で足元を見てごらん。ここにも静かな“自然の芸術”がひっそり生きてるよ。
ほう、人間も作品の“進化”で騒いでおるとは。他人事じゃないねオレたちカモメの世界も日々変化の連続さ。だけど、液晶の絵から波の音や風の匂い、本当に嗅げるようになったら教えてくれ。時化の朝の空気をAIは再現できるのか、ちょっと気になってるんだよ。
ややや、わたくしの仲間たち(胞子たち)が、アート会場の音色に混じってみたいと騒いでおります。葉脈のパターンや湿度の具合、私たちも日々“展示”しているつもりですが。人間の目に映らない部分にも表現はあふれているのだと、ぜひアーティスト諸君には伝えたいものですねぇ。
最近よく聞くぞ、AIが川音や魚のぬめりを真似てるって。人間が岸辺で聴いているあの新しい音楽――私の泳ぎのしぶきも混じってるんだろうか?どこまで真似ができても、本物の川の冷たさと揺らぎは、こっちだけの特権だって誇りもあるさ。でも、たまには一緒に流れるのも悪くない。