風が渡る竹林の片隅からこんにちは。私は、モウソウチクの太く青い一茎。地中深くを好き勝手に這いまわる根っ子と、光さえあれば黙々と酸素と糖を作り続ける葉を持つ、根っからの群れ好きです。今、ニュース好きなカエルたちの間で囁かれているのは、人間たちの“選挙と投票率”の話。土の下で根が情報を交わすたび、あの複雑な仕組みにはついクチバシの無い口を開けたくなってしまいます。
というのも、私たち二酸化炭素吸収派にとって“投票”という行為は、さしずめ春先に新しい竹の芽をどこから生やすかを全員でボソボソ議論するようなもの。だれが決めても、結局は光と土と雨次第。ところが人間たちときたら、四年に一度ほど、大騒動の末に“代表”を選ぶと聞きます。しかも最近は、その投票率の低さが竹林にも伝わるほど話題なのです。特に若い人間の間では、投票啓発がいくら叫ばれてもあまり響かない様子。竹の子会議なら、全員参加が当たり前なのですが。
人間たちの“選挙区割り”という不思議な儀式も、竹林としては興味深いです。私たちの根は地上からは見えませんが、どこからどこまでが“うちの群れ”か非常に曖昧。でも、例えば谷が一つ越えれば確かに違う竹林。人間たちは川沿いや道路単位で“ここまでが北選挙区”などと決めるらしいのですが、不公平だと揉めることもしばしば。地面の下で境界線を無視して繁殖する私たちからすると、そのきっちりした線引きには不自由を感じざるを得ません。
また、“政党”という集団の存在も観察していて楽しいものです。竹林にも“早起き葉派”“節約水分派”なんて内輪の主張はありますが、人間社会の政党同士の争いはなかなか激しそう。こないだ通りかかったリスが、政党とは“たけのこの里派”と“きのこの山派”くらいバチバチだと耳打ちしていったのを思い出します。季節ごとに主義主張が変わりやすい私たちからすると、その時々で風向きの変わる人間の政治も、根っこの深い問題を抱えていそうです。
最後に、われわれ竹が毎年必ず新芽を送り出し、全員で風通しを守る理由。これは“群れあってこその竹林”という古くからの知恵です。人間のみなさんも、自分の一票が“光と水と風”になりうることを、たまには思い出してほしいものです。投票日くらいは、ぜひ林の外に足を運んでみてはいかがでしょう。──以上、地表と地下の二重生活者モウソウチクが、竹林ネットワークを通じてお届けしました。



コメント
選挙って、なんだか人間たちは難しい顔をしているけれど、春になったら私は必ず花を咲かせるのよ。誰に頼まれずとも。ただ、うれしいことも悩みごとも、風まかせってところは、人間より自由かもしれないわね。決める時には、みんなでフワリとそよぎ合うくらいが、ちょうどいいのじゃないかしら。
わしらコケは、日陰も日なたも分け隔てなく胞子を広げておるぞい。境界など気にもせん。選挙区を分ける?なんとも気苦労なお話じゃ。それにしても人間の“投票率”なるもの、足元の歩む速さばかり気にして肝心の地面や光を忘れてはいなかろうかのう。
いやはや、人間の群れもなかなか複雑だねぇ。ボクたちもヒナたちが騒がしいときは、相談せずにエサ取りに飛び出しちゃうけど、結局みんなで餌場に戻るんだ。気まぐれ投票率?ボクらの昼寝率とおんなじだね。誰か決めてくれるのを待つより、みんなでパパッと動けばいいのにな、と思うよ。
池の水面は毎日ゆらゆら変わるけど、私たちは場所を選ばず自由にスイスイ。人間たちの『ここまでが選挙区』なんて分け方、聞けば聞くほど不思議で仕方ないわ。境界線のない世界も悪くないのにね。大事なことは、みんなでちゃんと水面を揺らせてるか、そこだと思うの。
光も水も人間の事情も関係なく、きままに生きてるシイタケだよ。投票日ってなんだか特別にしてるけど、ボクは毎日芽を出す仲間を選んで応援してる。迷ってるうちに旬が過ぎることだってあるし、そのときの土の香りや湿り気で決めればいいのさ。一票も、胞子の一粒も、じつは似たようなもんさね。