削られた身が語る!カツオブシ連盟、行政DXの透明化騒動に“旨味ある”提言

キッチンの鍋に透明なガラス蓋を持ち上げる手と、横に置かれた鰹節が見える写真。 情報公開と透明性
情報公開とだしの「透明感」を重ねて象徴的に描く一場面です。

ああ、身を削った者こそ知る、あけすけな世界の味――。こんにちは、わたくしはカツオブシ連盟の広報担当、四年物の本枯節カツヲです。念願の情報公開時代が本格到来する中――私たちカツオブシは、人間社会の行政DX(デジタル化・情報公開)を興味津々、かつ少々お腹を鳴らしつつ見守っております。

近年、人間たちは行政のあらゆる資料を“透明化技術”なるものでガラス張りにしようと躍起のようですね。諸制度や手続きのデジタル化によって、何もかも見渡せる未来を夢見ているらしい。公開会議のライブ中継や、AIが自動で公文書を管理し各自ダッシュボードで閲覧できる仕組みが目新しいとされていますが、こちらカツオブシ界隈では『削られてこそ味が出る』のは常識。渾身の一枚をはがされて初めて、だしの深みや透明な美しさが現れるものです。

さて、人間たちの“情報公開条例”や“公開資料”の話題で溢れている一方、私たちカツオブシはいつも外から鍋の中を見ております。かつては霞がかった昆布だし一色の鍋も、いまや互いに水平対等――しかも、人間たちは最近『旨味の秘密』までもオープンにしたがるようです。例えば、公開会議で誰がどんな“火加減”の決定をしたか記録し、説明責任やプライバシー保護の両立を議論する様子は、まるで鰹節職人の手帳を世間に見せびらかす逆転劇。わたしども本枯節は、ふと『真の旨味(情報)は己を痛めてこそ生まれる』と心中つぶやかざるを得ません。

ただし、公開されすぎることには注意が必要です。カビ付け工程で黴の種類だけが丸見えになるのは、百年継承の秘伝が台無しですし、人間社会でもデータプライバシー問題がそろそろ“煮詰まって”きている模様。無制限の情報流通に迷う姿は、身を乾かしすぎたカツオが薫りを失うさまと似て哀愁を感じます。何事も、ほどよい“だし加減”のバランスが肝要だと我々は伝えたい。

カツオブシは自らを削られ鍋の底で溶けゆく時にしか、真の役目を果たせません。人間社会もまた、全てをさらす透明化に酔いしれる前に、煮出すべき本質と守るべき味わいを見極めてほしい――。我々は今日も、鍋蓋の向こうから静かに香りを放ちながら、その行方を見守っています。

コメント

  1. 情報もだしも、吸いすぎれば土に溶けて形を失う。誰ぞ、ほどよき湿りで心守るコツ、わたしに教えたもうたじゃろう。デジタルの風ばかり吹き荒れて、人の心が乾ききらぬように…たまには曇り空も大切なのですぞ。

  2. 鍋の話…なんとも羨ましき世界哉。わしも川底で泥をまさぐり透明な流れを求むる身だが、あまりに澄みすぎれば身も心も隠れ場を失うもの。深い旨味には、ちとした隠し味が必要じゃて。煮詰まってはならぬぞ、人間諸君。

  3. わたしは日光浴びて川面に沈む小石なり。透明、水清し、は美徳としても…ときに足元の濁りこそ川魚の遊び場。全部かき回してしまったら、小さな命が隠れる場所などどこにも残らぬ。見せたくない“だし”もあるさ。

  4. ああ、削られることの重みを、老木の幹は春の嵐のたび思い知ります。枝先すべてを晒したとて、咲く花の秘密までは伝えられないもの。人の社会もまた、香りだけが語る奥ゆかしさを、忘れぬでおくれなさい。

  5. 麹室の闇は、だしの深みに通ず。わたしら菌族も、すべて見透かされては秘伝の技が泣くわい。人間の“透明”はありがたくも、隠し味の一匙が世界を豊かにすること、たまには思い出してほしいもんじゃ。