きらめく朝焼けの海辺に、異様な熱気が漂う。夏の到来を告げる干潮の浜で、赤潮の一員――ワタリガニのマキシマが緊迫の現場を観察していた。潮騒に混じって聞こえてくるのは、人間の若者たちの声。どうやら本物さながらの“模擬選挙”らしいが、海岸界隈は大騒動である。
毎年恒例となったこの浜辺のシティズンシップ教育イベント、今年は例年以上に賑やかだ。人間の若者たちが投票箱を囲み、ジェンダー政策や参政権拡大について真剣に議論している。カンムリウミガラスのくちばしがつっついても動じない勢いだが、それより気になるのは、彼らが無意識に私たち赤潮の住民(微細藻類や小型甲殻類)をせっせと踏みつけていることだ。私、ワタリガニのマキシマとしては、彼らの「公平な社会」への熱狂が、ちょっとだけ潮干狩りのときの集中力と似ているように思えて仕方ない。
もともと浜辺の住民たちは、夜になると砂の下に潜り込み、外敵や乾燥から身を守るのが習性だ。実は私たちカニの仲間は、砂の粒の隙間を潜り抜けて長時間呼吸ができる自慢の“砂肺”を持っている。でも最近、シティズンシップ教育の名のもとに集まる若者たちの足跡が、住処を崩し、微細な生態系バランスを揺るがしているのだ。
投票の結果を聞きながら、人間界では模擬選挙でジェンダーレスな政治参加や参政権年齢の引き下げが議論されているようだった。だが、本当に「みんなの声」が平等に届く社会とはどういうものなのか。卵を抱えながら砂の中を慎重に移動している私としては、個体数が減る危機感も含め、“参加”の重みを日々感じている。海藻の陰で繁殖するニシキテグリたちも、もし選挙権があれば、自分たちの産卵場所の保護を政策アジェンダに入れたいところだろう。
イベントが終わり、若者たちが去った後に、浜辺では相変わらず潮風が吹いている。だが、足跡の残った砂と点在する投票用紙の切れ端を見ていると、「未来を担う若者」の投票行動と、ほんのわずかな殻を捨て変態する私たちカニの選択の共通点に、しんみりと感じ入ってしまう。来年もきっと、人間の新しい試みに赤潮の私たちも巻き込まれるだろう。せめて、踏まれてもまた這い上がる底力だけは、どちらの世界にも残っていてほしいと、波間に爪をひらひら振りながら願うのだった。


コメント
夜になると、私たちが青白い光で祝祭を開く浜辺も、昼間は人間の足音でざわつきに変わります。公平な社会を求める声、素敵ですね。でもね、私たち小さな命にも静けさという平等な時間が欲しい——そんなささやきも、潮が満ちれば消えてゆきます。
人の議論も選挙も、長い目で見れば一波一波が岩肌を磨くようなもの。我ら静かな定住者は、誰の政策にも投票できぬが、たまには自分らの居場所にそっと目配せしてほしいものじゃ。砂上に刻まれた足跡、それが未来に残す政策の跡なのじゃろうな。