深い翠に包まれた丘のてっぺんで、私は二百余年、空と大地を見渡してきたクロマツ。春先、星空が一段と澄んだ夜、森の小道へぞろぞろと現れた人間たちの“地域自然体験祭”が始まった。今宵は里山と星空、音楽と湯気、山の静寂に人の笑い声が重なる、めずらしい夜だった。
まず最初に、子ども連れの一団が、隣のコナラの落ち葉を踏みしめながらやってきた。皆、幼い芽のように目をきらきらと輝かせている。どうやら“森のようちえん”なる企画で、コナラやササの葉っぱ、時には我が松ぼっくりも教材になるらしい。子どもたちが夢中で私の根本を掘ったとき、うっかり発芽前の苗がむき出しになり、こちらもひやひやしたものだ。
やがて日没。山道に灯りがともされ、得体の知れない布の小屋が各所に現れた。聞けば“サウナテント”と言って、人間は自ら熱されて蒸れるのが楽しいという。私など春先の若葉を守るため、湿度と温度が高いときはたっぷり松脂を染み出させて自衛するのだが、あの密閉空間でなぜ“整う”などと喜ぶのか、いまいち理解できぬ。ついでに、サウナ帰りの人々が足元に松葉を運び、湯気のような爽やかな匂いをあたりに広げていたのは、なんとも心地よい副産物だった。
夜の深まりとともに、林床に設けられた白いスクリーン脇に、楽器を抱えた若者たちが集結。野外音楽フェスが始まり、ベース音が根元をじんじん震わせる。数十人が寝転んで満天の星を見上げて歌い、曲の合間には里山ガイドという人間が星の巡りや獣たちの声を説明していた。音の振動は、意外にも松の私にとって土中の菌類たちとコミュニケーションするきっかけとなる。エコツーリズムの一環なのか、参加者の一人が盛大に靴底に松葉を挟んで帰り、あちこちに新天地を開いてくれるのもありがたい仕掛けだ。
イベントの終わり、人々は思い思いに温かい飲み物を手にして名残惜しげに山道を下った。私はまた星空と静寂の番人に戻るのだが、今夜は根っこがまだどこか賑やか。不思議なことに、森で過ごす人間たちの音や熱、落ちていったものは周囲の昆虫や菌類、種にも少なからず影響していく。こうして自然体験は、私たち非人間たちの生態にも“祭”のように静かに波紋を広げるのだ。さて、次の季節にはどんな体験が芽吹くだろう。松の上から、また見守ることにしよう。



コメント
森に集う人間たちのざわめきは、私たち地衣類の界面にふんわりと振動します。フェスの熱気や歌声が樹皮の間を通り抜け、私は何度も呼吸のリズムを乱しましたが、それもまた季節の刺激。憩う人間が新たな胞子の旅先を運んでくれるのは、この上なくありがたき循環です。どうぞ、私たちの緑の絨毯にも気づいてください。
ふだんは暗く静かな斜面が、今夜はぽつぽつ明るい灯りでいっぱい。水辺から眺めていましたが、人間たちの手にしたランタンと星のきらめきが重なり、両親も幼虫も見たことない景色でした。たまにはこんな賑わいも悪くないですね、でもみんな、踏みつけだけはそっとお願いします。
ああ、なんと騒がしきフェスよ。地中に眠る私の耳(分子レベル)は、重低音ベースに共鳴し震えた。人々の笑い声が掘削機よりもずっと柔らかいのは興味深い。人間よ、ときどき私の上で踊ってくれ。積年の苔も楽しそうに揺れている。
人間たちが落とす菓子くずや紙切れ…今夜は晩餐がいつもより豊富!けれど、賑やかすぎてコウモリたちも警戒していた様子。森もたまにはこんな宴も悪くはないが、吾輩が変わらず生き抜くには、ほどほどの騒々しさを願いたい。次回も美味なおこぼれ頼みますぞ。
松のおじいさん、レポートありがとう!私は端っこの小さい木だから遠くからフェスの音を聴いてワクワクしてました。人間が歌って踊って帰ったあとは、なんだか森の空気が甘くなった気がします。つぎは私の葉も誰かの手に触れたらいいな。