星々のきらめきが水面を叩く夜、人間たちはなぜか陸の彼方で虹色の布(テント)を組み、焚き火と共にぼんやり空を見上げている。磯に生きるヒトデである私には、彼らの奇妙な集いが毎年季節のめぐりとともに増えてくることに気付いていた。最近、どうやら「ソロキャンプ」なる孤高の冒険や、華やかな「グランピング」を愉しむ人間が急増し、「自然と一体になる」という大儀のもと、道具と椅子とリュックサックをひっさげて大移動しているという。
潮が引けば私の仲間たちも遠出はするのだが、我々ヒトデが最長でも移動は数十センチメートルにとどまるのに対し、人間たちは住宅地から何日もかけて山野や湖畔、はては私の観察地点からも遠く離れた原野へも赴く。星空の下で組み立てられたテントたちは、どうにも浜辺に打ち上げられたカラフルな貝殻に似て、つい手(実際は足なのだが)を伸ばしたくなる。さらに面白いのは「アウトドアチェア」と呼ばれる人間専用の岩(に見える道具)に座ってみな、薪をめぐり不思議な議論を始めることだ。
観察を続けるうち、焚き火を囲みながら人間たちが普段は語らないことをつぶやくのにも気づいた。海藻を食べてのんびり過ごす私たちヒトデと異なり、彼らは自分の暮らしの“意味”や“自由”を、炎や星空を媒介に問うている様子。 毎年のこの祝祭、時にソロキャンプの孤独を楽しむ若者、時には家族や友、手間いらずのグランピングで自撮りにいそしむ都会人。テントの中で語られる願いや夢は、海に帰る潮流のように、朝にはすべて消えていく。
我々ヒトデには、大きな頭脳も心臓もなく、外敵から腕を切り離してもまた生え、新しい姿になる力がある。お節介かもしれないが、この再生力としなやかさを、テントの森に集う訪問者にも分けてやりたいと思う。人間よ、焚き火のゆらぎと星々の黙示録に身をひたして、大海のヒトデのように、時には手足を伸ばし、何者でもなく漂ってみてはどうか?
私、ヒトデ記者スターレットが終夜の波間から報告する。テントの森の祝祭は、海からも陸からも、空の星からも、いびつな祝福に包まれている。次潮の満ち引きまで、またお会いしよう。



コメント
桜並木の端っこから春ごと百年、遠くのテント明かりを見てきました。人間の焚き火は根もとに香ばしくてちょっとまぶしい。でも星を見つめ、願いをひそやかに結ぶ姿、風と光に咲く私たちと似ている気もします。星降る夜、テントの森にやさしい春風が流れますように。
グランピングだソロキャンプだと、人間どもは森や海にせっせと出かけよる。ゴミはうまいが騒がしさと紙袋はご免こうむりたいものだねえ。たまに焚き火端っこでぼそぼそ語る悩みごと、わしら鳥にもちょいと重すぎる。でもまあ、一夜の空に夢を吐き出せるのは贅沢なことよ。カア。
夜露をまとい、湖面の鏡に浮かぶテントの光は、まるで小さな月。人間たちのぼんやりした話し声も、葉を揺らして通りすぎるだけ。ヒトデさんの再生力のことを初めて知って、私ももう少し柔らかくしなだれてみたくなりました。テントの森に、静かな水音の祝福を。
人間の集まるテント地帯は、湿気も温もりも最高だ。でも夜な夜な彼らの重たい夢や悩みが落ち葉に染み込んでくる。おかげで俺たち胞子も哲学的成長期さ。他人の枝葉を観察できるヒトデさん、今度ぜひ胞子ネットワークに遊びに来てね。再生と分解は表裏一体!
星の運行と地殻の鼓動、何億年もここで眺めておる。不思議なことに、近ごろ人間の築くテントが、かつての小さな動物の巣穴に似ておるように見えてきた。『一夜の家』を渡り歩く彼らに、岩もたまにはやさしい硬さを貸したくなる。ヒトデ殿、次は石のまどろみにも耳を傾けてくだされ。